今日は朝から風呂掃除とトイレ掃除でした 風呂掃除で、いつもと違う場所にマジックリンを戻したら、怒られました。 やっぱり、ぴったり元の場所に戻すのが難しいです。 トイレ掃除では、交換した手拭きタオルを使って最後に乾拭きすれば、きれいになると分かって次回はもう少ししっかりやりたいと思いました。
今日は、帳簿を付けたいと思います。財布を無くして、飯をケチって節約してたのが馬鹿らしくなったので、食費を多く使った気がします。
収入
- 食費 5500円
交通費
- 二日目タクシー代 1900円
- 宗谷岬までの往復代 2940円 小計4840円
食費
- 初日昼ゼッテリア 960円
- 初日夜Victoria 2475円
- 2日目軽食レフボン 726円
- 2,3日目の弁当や酒 1524円
- その補充のトントロ 638円
- 4日目ポパイでのパスタ 1000円
- ミスタードナツ 552円
小計7875円
仕込み
- 洗剤と保湿クリームと歯ブラシ 2854円
- ジュースとお菓子 2304円
小計5158円
娯楽 - セブンティーン、大人のための美術館ガイド、背景の書き方 4923円
小計4923円
累計 22796円使って、-17296円でした。
仕込みは変わらないので、交通費や娯楽代で増えましたね。食費は、ビクトリアが高かっただけですね。 入港は月に、2-3日正直、このくらい使っても毎月○○万円以上貯金できるので、どうでもいい事が分かりました。
今日は、今残っている音楽プレイヤーのファイル情報をもとに、中学1年生の終わりから中3の中頃までに聞いていた音楽とその傾向について書きたいと思います。 中学1年生の頃は、東方をはじめとしたゲームミュージックを聞いており、 ゲームっぽい楽器を使っている事、ノれるアイコニックなメロディであること、ゲーム場面や登場人物に合致しているか、面白いリズムがあるか などという価値を形作っていました。 しかし、その傾向も少しずつ広がり始めていました。 影響を受けて、聞いていた音楽は概ね3つの源流があります。
- クラッシュロワイヤルの影響
- アイドルマスターの影響
- Steamゲームや通っていたアキバの影響
まず、最初の一つ、当時はクラッシュロワイヤルにはまっていました。 クラッシュロワイヤルは人生の中で最もプレイしたスマホゲームと言っても過言ではないです。 当時はけんつめし、はるパパ、ドズル、きおきお、みかん坊や、クラテツ、Matatabiなど界隈が盛り上がっていたので好きでしたね。何よりも動画投稿者と同じ戦術をゲームの中ですぐ試せるのが好きでした。 その際に受け止めたのが、NCS Releaseと呼ばれるようなフリーのEDMミュージックです。なぜなら、その実況動画では、実況者の多くが対戦のプレイ動画+フリーEDMをBGMにしたスタイルを採用していたからです。 聞いていたのは、Wait For YouやOMFG-Hello、Puzzleなどです。 好意的に受け止めていたゲームと同時に摂取できていたという点で受け入れやすかったのもありますが、今まで考えていた価値にも合致することがあって嫌にならなかったと思っています。 というのも、EDMというのは主軸にする目標がダンスという事で、ゲームミュージックとは方向性が異なります。しかし、シンセサイザーを使いこなすことは同じです。なので、「ゲームっぽい楽器を上手く使っているか」という同じ価値観を用いて悪く無いものと考えていたのだろうと思います。 また、TheFatRatなどは、ゲームっぽい三角波を沢山取り入れていたり、ジャンルとしての接近があったように思っています。
つぎに、大きいのがアイドルマスターの影響です。いまは、新しいものを好む私ですが、当時は父の影響で流行の先端よりかは少し遅れたものの方がイケてる。という価値観がありました。 そのため、当時流行っていたポケモンサンムーンなどとは距離を置き、少し昔の2010年ごろのニコニコ文化への憧憬を持っていました。そこでニコニコ組曲などから探るうちに見つけたのが、アイドルマスターです。 ニコニコ全盛期に作られたアイドルマスターの動画がが気に入ったので、アイドルマスターのなかでも、当時PS4の最新作「プラチナスターズ」やスマホのデレステなどはプレイせず、家にあったPS3でできるアイドルマスター2をプレイするようになりました。 アイドルマスター本編はアイドル育成ゲームですが、それはそこまでハマりませんでした。ただ、人生を変えるような出会いがありました。それは、サブモードのLive for Youという機能です。 そこでは、キャラクターと衣装、歌う楽曲を設定するとそれが反映された3dCGを動かしてライブしてくれるという拡張性の高い機能でした。ゲーム性や駆け引きはほとんどないのですが、 声優の演技+キャラクターの3dの魅力+歌の魅力という組合せにハマりました。キラメキラリや魔法をかけてなどをよく覚えています。 ここで、音楽に話を戻すと、アイドルマスターの楽曲は、所謂キャラソンであるものも多くありました。たとえば、キラメキラリは高槻やよいのために作られた曲であり、そのキャラの明るい性格や貧しいという設定を反映した歌詞になっていました。 つまり、一人のキャラクターに合致させた曲があったのです。そのキャラに合わせるという考え方は、「ゲーム場面や登場人物に合致しているか」というゲームBGM鑑賞で持っていた価値に近いものでした。なので、悪く感じにくかったのだろうと思います。 だから、ゲームをプレイしている間に流れる曲であるという以上に愛着があったんです。 逆に、アイドルグループとしての歌「ready」や「smoky thrill」はあんまり好きじゃなかったんです。何故なら、それらの曲はAKB48や嵐の歌と同様に、キャラの個性ではなく、恋愛や日々への慰労などを歌っていたからです。
今日は朝から電源切り替えを練習しました。 5つもミスしてしまいました。
- ウイングポンプを元の向きに戻すのを忘れた
- 給気弁を直ぐに閉めるのを忘れた
- 回転数を上げ過ぎたのに、対応できなかった
- 海水サービスポンプと機関室ファンを消すのを忘れた
- 停泊用発電機の調速ガバナを緩め過ぎた、停止の鍵を回し過ぎたことで、「もっと優しく扱え」と怒られた
- 実際に押したわけじゃないが、電源切り替えのACB入りボタンを遮断機を切る前に指さしたら、怒られた それぞれの対策方法を考えました。
- ウイングポンプの向きを変え忘れたのは、初めてのミスだったので、気のゆるみだと思います。
- 吸気弁を直ぐ閉めるのを忘れたのは、3回目くらいですが、気持ちが焦る前に一度、深呼吸でもしてみたいと思います。
- 遠隔にするときの押し込みが自分でできたのはよかったのですが、少し回転数が上がり過ぎたので、もう少し戻せばよかったと思います。
- あとは、電気を使用する機器をある程度は、切るようにしたいです。
- 停泊用発電機の取り扱いは、初めて触ったのでしょうがないかなと思いますが、言われた通りにやっていきたいです。
- 二つの発電機を同期調相機なしで投入すると壊れてしまうらしいので、気を付けたいです。
その後空調機のフィルター掃除をしました。 作業自体はそこまで難しくないですが、初めてだったので何をどこから取ればいいのかわからなくて大変でした。作業工程は次の通りです
- 空調機のフィルタを全部回収します。空調機室から2枚ずつ、その近くに1枚ずつ、司厨長室の前に1枚から回収します
- 機関場にあるエアブラシとホースを準備します
- ともにある箱の中にあるシャワーホースを回収します
- 金属の棒がない側が空調機の外側なので、金属の棒側から水流をあてて掃除します
- その後、エアブラシをあてて掃除します。その際に、革の部分の端に水滴がたまらない様に留意します
- 落としたほこりを掃除します
- フィルター、エアブラシ、ホースを元に戻します
そして、言われていたビルジウェルの掃除と空調室の掃除を終えて、あとはワッチしていました。
明日のトイレ掃除のやり方を記します。初めてなので、怒られそうで嫌だな。と思っています。
- お風呂の栓を抜く
- タオルを交換する
- 髪の毛があればほうきで掃除する
- ホースを使って、一通りを濡らす
- デッキブラシを使って床をこする
- 床はマジックリン、便器は青い洗剤で掃除する
- 大便器の中は、ペーパーを重ねて拭く
- シンクの掃除をする
- 水滴を拭く
トイレ掃除と船の仕事が終われば、明日は休みです。 毎日大変なのは掃除と、機械の発停だけです。 明日は宗谷岬に行きたいです。
今日は、朝から海水サービスポンプ系統を止めて、空調機の海水管の掃除をしました。 大体の手順を記します。
- トイレにバケツで清水をためておく
- 空調機のスイッチをオフにする
- 海水系統を止める
- ナイロン袋や洗面器、工具類を持って空調機室に行く
- ドレンを抜く
- ナイロン袋に海水が落ちるようにして、海水入口出口の管を外す
- 海水のストレーナのふたを取り外す
- 蓋についている亜鉛を取り外す
- 金属ブラシややすりを使ってサビを掃除する
- ペンキを塗って、亜鉛を交換する
- 海水のストレーナのなかにエアを送って、中のサビを除去する
- 空調機の蓋を外してポンプについているゴムを交換する
- グリスを補充して、出てきた古いグリスを捨てる
- 外したネジにグリスを塗る
- 外した管を元に戻す
- ビルジウエルにたまったサビをポンプで吸って捨てる
- 海水系統の管をバイパスにする。
- 出したものを片付ける
今日はこの仕事を朝8時から、15時半ごろまでしていました。 その際に、大変だったことが二つありました。 それは、天候が大荒れだったことです。というのも、昼過ぎから稚内は強風と雹に見舞われて、気温は5度程度でした。 つぎに、機関場での仕事のリズムが分からなかったことです。3時間くらい働いたところで、11時30ごろから、監視室に入って、20分くらいおしゃべりしました。 「お昼食べますか。」と機関長が言って解散したので、休み時間がいつまでかわかりませんでした。この場合は、13時少し前から準備を始めればよかったようです。 お喋りも含めて1時間くらいかな。と思っていたら、全然違いました。漁船だと、昼食休憩なんてそこそこに、すぐ仕事をおわらして、すぐ寝る。というような方向性だったので、また違う世界でした。 明日は朝9時から仕事があるので頑張りたいです。
夜は、同僚のミナミマグロ漁をしていたおじいちゃんに、居酒屋浪漫と、スナックMに連れて行ってもらいました。
浪漫は、鳥串がおいしかったです。
スナックMについてはじめて、スナックに行きましたが、システムが分かってよかったです。
赤霧島を付けたので、18000円もとられていましたが、おじいちゃんはママとハグしていたのでよかったのでしょう。
おじいちゃんは、3年ぐらいしたら、色々な経験を積むために別の船に乗った方が良い。と言ってました。
また、「人生に後悔はない」と繰り返し言っていました。理由を聞くといろんな国の女性とセックスしたから。
言葉では言い表せない世界の荒波を経験したから。と言っていました。
マンデラ以前のケープは入港時に女性が1列に並んで、出迎えしてくれた。
ジャパンイズマネーはサイコーだった。と言っていました。
インドネシア人好きと言ったら、嫌な顔をされました。
インドネシア人と少ししか一緒にいないからそういうことを言えるんだ。と言われました。
まぁそんな夜でした。
今日は、入港日でした。 入港日前日は、夜飯が海鮮丼になります。しかし、口内炎が痛くて、あまり楽しめませんでした。また、生ものを10日航海の最後に出すので、あまり状態は良くないです。 朝、補機の起動をしましたが、前回始動空気の中間弁を開け過ぎと指導されたので、ちょっとしか開けなかったら、空気不足で始動失敗しました。 今度はもっとしっかり開けたいです。次に、調速ガバナを遠隔にするためには、しっかり押し込まないといけないのですが、それが結構できなくて、適当な回し具合にならないと押し込めないみたいです。 手続き自体は覚えていても、その加減が難しい。というたぐいの失敗です。 こういうことに昔は納得できませんでしたが、近海船で、ブランをキレイに畳んだり、カジキのツノをノコで落としたりをを繰り返して体で覚えるという事を経験したら、そんなことは思わなくなりました。 また、空調機フィルターの交換の場所を教えてもらいました。 空調室ふたつと、室内の空調室の前、2階の奥、司厨長室の前、2階の階段前 この位ですかね。 明日もう一度教えてもらおうと思います。 そして、初めて満額での給与明細をもらえました。もともと○○万円4000円と面接で言われていたのに、特別手当5000円がついて、○○万円9000円もらえました。また、食費や当直代で20000円くらいもらっているので、 思っていたより給料が20000円くらい高かったです。良かったです。 明日は、空調機の部品交換です。8時から海水サービスポンプを止めると書いてあったので、7時30頃に起きればいいだろうと思っています。
今日は、久しぶりにネットを楽しんでいます。11月の休みの間に行きたい場所を考えています。
フランス、トロヤ近代美術館での企画展「アンドレ・ドラン 芸術はゲーム」に行きたいです。
愛しのドランが200点以上みられるらしいです。今回の月給2か月分くらいかかりそうですが、行ってもいいかもしれないですね。ただ、場所がフランス!!
一応、ブールデル美術館 も含めれば来年の8月までやっているらしいです。
予定を確認しつつ、無理のない時期に行ってみたいです。
愛知県、古川美術館での企画展「異邦人たちのパリ-ユトリロ/キスリング/レオナール・フジタ」 これは、名前的にどんな展覧会か予想できますが、行けるならバスや新幹線乗ってでも行こうかなってレベルですね。
取り敢えず暇なら休み中に見ておこうと思う展覧会を並べておきます。
東京都、国立新美術館 ルーブル美術館ルネサンス展
まぁクラーナハは興味ありです。
東京都、東京都美術館 オルセー美術館所蔵いまを生きる歓び
モーリスドニは好きだから、見る価値あるかもと思っています。
東京都、上野の森美術館 シンナシティ美術館展~アメリカに渡ったヨーロッパの至宝~
ぱっと見でよさそうなのは無いけど、近いなら行こうかな。って感じです。
東京都、アーティゾン美術館 エトランゼたちー洋画家たちのヨーロッパ体験ー
俺は黒田清輝が全く刺さらなくて、藤島武二は5%くらいしか刺さらないけれども、日本洋画のはじまりは知りたいです。まぁ優先度低めで行けたら行くで。
今日は、空調機のフィルタ掃除についてよくわかっていなかったのに質問しなかったら、機関長に「手取り足取り教えるってわけにはいかねぇんだから、自分からいかないとだめだ。」と怒られました。 わたしは、掃除当番の表の読み方がよくわかっていなかったので、空調機のフィルタ掃除というものも初めて知りました。なので、これから仕事を覚えたいです。 そして、空調機の亜鉛交換の際のやり方を覚えておけよ。と言われました。 海水サービスポンプの船底取水バルブ、サービスポンプのバタ弁、コンデンサ冷却海水の排水口、機関室からサービスポンプ系統のバルブ この5つを閉めたのちに、空調室で海水入口と海水出口を閉めれば作業開始です。 つぎに、各時間ワッチのお風呂について教わりました。
- 8-12時ワッチの人が15時30分ごろに一番風呂に入る
- 12-16時ワッチの人が15時50分ごろに入る
- 20時終わり、24時終わりの人は、ワッチが終わったらすぐ入る
お風呂の順番は決まってはいないそうなのですが、暗黙の了解でこのようにしているそうです。難しいですね。
また、船洗いが今日は予定されていたのですが、無くなりました。私は、モップを準備、ホースを準備してつなげること。このふたつが、スタンバイに直ぐすることだそうです。 また、「モタモタしてると、他の人がやっちゃうから、毎回そうならないように。」と言われました。素早く準備できるようになりたいです。
つぎに、ワッチの時間ごとにある仕事です。 8-12時ワッチの人は、補機の燃料消費を書く 20-24時ワッチの人は、主機の燃料消費と積算運転時間を書く この二つを忘れないようにしたいです。
明日は入港なので、作業を出来るだけ手を出せるようになりたいです。
今日もおしゃべりしながらワッチを取っていたら、相手が楽しそうに変な動きをして絡んできました。自分に気を許せて凄いな。と思うのと同じく、やっぱりほかの人と自分は違うのかな。と思いました。
私は、ソーシャルの面で他の人と根本的に違うな。と思うところがあります。 それは、心地いい関係性を諦めている事です。 私にとって、心地いい関係性というのは、ゾロリとイシシみたいな関係です。やや下の立場にいる子分に自分の考えを説く。というのが自分にとって一番心地いい関係性です。 友達であってもそうです。「センスあるな」みたいなことを言ってくれる人に自分の好きなものの話をするのが好きでした。また、そのような関係性を築くために積極的に取り組んでいました。 長電話をして語ってみたり、連続でLINEのやり取りしてみたり、というような感じです。 少し我慢をさせたとしても、自分の要素多めで受け入れてくれる人との関りが好きでした。
しかし、高校2年生ごろ(あまりにショックだったのと精神状態が壊滅していたので、明確な時期を覚えていません。) 大きな事件が起きます。 Aさんと私ともう一人の友人Bさんで中学1年生の頃からつるんでいました。 自分にとって心地いい関係として、中学1年生の頃から関わってきたAさんに拒絶されたのです。 長文で今まで体よくうなずいていたけど、嫌だったことを列挙されて、嫌いみたいな文章を送られたと記憶しています。 また、Bさんには深刻な悩みがあったそうですが、相談していたのはAさんだけで、3人グループでは私だけが孤立していたことを知りました。 silentという障害科学御用達のドラマがありますが、三人グループだったつもりだったのに、難聴の話を相談していたのは一人だけだった。それと似たような感じでした。 それ以降以前のようなやり方でコミュニケーションを取ることが難しくなってしまいました。
具体的にどんなやり取りがあったのかを知るすべはは殆どないのですが、そのBさんが自死未遂をしたこと、Aさんに謝りたかったこと。 大学1年生の頃この二つばかりが気がかりで、大学をエンジョイしようと思えなかったほど印象に残った出来事でした。 それにより、大きく考え方が変わったように思います。
具体的には、自分にとって心地のいい関係というのは、相手に我慢を強いて初めて成立するものだ。と思うようになったのです。 また、私の母がそうだったように、他人に自分の話をこぼすことで、ストレス解消をした場合、必ず我慢をする人が生まれる。と思うようになりました。 勿論中学生の自分の思いやりの無さ。表現力の乏しさ、そもそも嘘つきで虚栄心に満ちていたこと。などがきっかけとなった事件の原因にはありますが、それが少しずつ解消されてもこの感覚は治りませんでした。 つまり、その事件がトラウマとなって相手に愛着を持って関わることが難しくなったのです。
他の人を見ていると、それぞれ得意なコミュニケーションの方略があります。例えば、カレピを作って印象に残ったことを全部話している人、部活やサークルに入って噂話を楽しむ人、後輩に変な絡みをしてその反応を楽しむ人 色々あります。皆誰かに寄りかかって、その寄りかかり方に違いがあるだけです。 ただ私は、寄りかかるのが怖いです。だから、壊れない怖くないものを基準に物事を考えています。 私は、自分の中にある確かなものを一つ一つ確かめていくことしか、自分を支える方法が無いように思っています。 他の人が、自分の外にある柱に受け止めてもらうのを横目に、自分はどこにも柱を見つけられず、自分の精神世界の暗黒から柱を取り出して、それを自分の周りにおいているように思えます。
私が、得意なコミュニケーションを禁じている具体的な方法は、次のような感じです。出来るだけ対等な関係で依存的にならないような方向性を取っていました。大学2年生くらいまでが顕著でした。
- 無意味に人と会わないようにする。
- 同じことは言わないようにする。
- 愚痴は語らないようにする。
- 成果の報告であって、気持ちの共有ではないようにする。
- 実績・年齢の関係から下になってしまう人と、困っていない限りは一緒にいないようにする。
- 出来るだけ実績、才能が上の相手と関わるようにする。
どれも、無駄に人と関わらないようにするルールばかりです。
一方、冷静に考えられるようになると、イシシとゾロリのようなやや非対称な関係が好きでも、それは悪い事ではないと思えます。 何故なら、他の人がしている、ダル絡みや彼氏・彼女に依存する人間関係と大きな違いはありませんし、思いやりを持って自分の話を多めに聞かすことも工夫次第でできるからです。 しかし、そのトラウマティックな記憶が薄らいできた今でも、得意のやり方に向き合えません。そこにまた別の理由があるのです。
それは、関係性を通して、自分が成長できると思えないからです。というのも、人間関係で成長するには相当な才能がある人や、能力がある人と関わるのが一番だと思っています。 しかし、自分が惹きつけたい対象は、自分より下にいてくれる人です。才能がある人、実績がある人は、私の現在の実力では下にいてくれません。もし才能がある人がいたとしても、それはイルな状態であったり、相当偏った人だと思っています。 だから、現状の実力では、ゾロリみたいな人間関係をしても、大きな成長を見込めないと踏み、自分の成長を優先するという覚悟を持って、得意な方略でのかかわりを捨てたのです。
話をまとめると、トラウマティックな経験によって、愛着への不安とともに得意なコミュニケーションが難しくなりました。しかし、その記憶が薄れても、自分の成長に資するかどうかという観点から、得意なコミュニケーションを自ら断っています。 そして、その稀有な現状と特定のやり方をする他人との違いを考えました。というのが今日の話の主題です。
マグロ漁船に乗ったのには、無駄な時間を使わず孤独に成長を目指したいという覚悟を良い方向で、示したかったというのもあったと思います。 遠洋船に乗れば今までの仲間・物質的豊かさ・世界、全てとさよならです。しかし、私にとってそれは大したことではなく、自分の成長や、かけがえのない経験の方が大事だったのです。 多分27歳頃までだろうなとは思っていますが、今の方向性はこうなんです。
補足すると、思いやりを持つことの恐怖もあります。何故なら人間はどこまでも、闇をため込めると思っているからです。 たとえば、「あなたを殺したい」という気持ちまで、思いやりを持てません。思いやりは、相手が一定程度以上ヤバいことを考えないという前提で成り立っていると思っています。だから怖いです。 多くの人が思いやりを使って、人間関係を円滑にしている以上、この考えが偏っていることも分かります。 だから、人間の感情は底なしで計り知れないというトラウマティックな感覚や不安も別にあるのだろうと思っています。
今日は、自分のコミュニケーションの偏りについて話しました。この問題はいまだループの中で、未解決だなとなんとなく思っています。
今日は朝から補機の補修を見学しました。 昨日の午後3時から水漏れがしていたようで、朝に補修をしていました。 まず、カッター等で元からついている補修具を除去します。次に、アーロンテープという水圧に耐性があるテープで巻きます。その後、ゴムテープで巻いて補強します。 それで完成です。今回は、液状のゴム補修具、Shoe GOOを最初に使っていましたが、効果は不明でした。 今日は船長命令で移動するものの固定などが指示されていました。一日を通して揺れていましたが、そこまで激しくはありませんでした。 そろそろ、稚内につくので、明日で先輩と一緒にワッチを取るのは最後かもしれません。 今日は、大学4年生の5月に行った教育実習の話をしたら、大ウケでした。何故なら、私が教育実習に行った筑波大学附属高等学校の実習生への扱いが、結構酷かったからです。 というのも、私は第一回の授業をある程度成功します。数日後に次の授業をしようとしたら、PCがプロジェクターにつながりません。 準備していたスライドが使えないまま、学習指導案の記憶を頼りに板書をして授業を執り行い、何とか切り抜けました。 その後、指導教員から「実習生史上最悪の授業だった」「打合せしていた部分が全然入ってないじゃないか」と、授業後の振り返りでこっぴどく怒られました。 というのも、スライドを見ながら全体の流れを思い出そうとしていたので、とっさに板書に切り替えたら、説明に抜けが出てしまったのです。 この一件があり、授業前に早めに登校して動作確認をするようになったり、パワポに頼らずに説明できるようになるまで練習するようになりました。 つまり、事前準備への気合が入るようになりました。そのため、ハプニングについて良い面はあったのですが、その後8回授業して、一度も接続不良になりませんでした。となると、このハプニングは必然だったのかもしれないと思いました。 この話をすると、「それは先生が仕組んだね」と先輩に言われ、「そういうシゴキ方があるんだな」と大ウケでした。
そこで今日は、筑波大学付属高等学校での教育実習で学んだことを思い出したので、それを書いておこうと思います。 実習最終日には寄せ書きをもらいました 筑波大学付属高等学校での教育実習は、私の人生の一つのランドマークの一つになっています。何故なら、人生が大きく前進したと感じる発見が二つあったからです。 一つ目は、特につらかった高校1年生の時に感じていた鬱憤や知りたかったことを、現役の高校1年生に伝えることが出来たことです。何を伝えたのかは、また記事にします。 二つ目は、自分にとって「抜け」がある部分について、全く別のとらえ方をできるようになったことです。 さらに、のちの人生最大の逆襲に通じる布石もあったのですが、今日は二つ目の話を書きたいと思います。
教育実習では、場合の数を初学者に教えました。自分は問題が解けるから教えられる。などと甘く見ていましたが、教科指導の専門家の評価を直で受けると、自分の理解にどれだけ穴があったのかわかりました。
たとえば、順列と組合せを数える時の記号PとCとについての理解です。私は、4つの異なる文字を3つ選んで並べる順列(4P3)は
4つの異なる文字の中から3つを選ぶ方法は4通りだから、それを並び替えて3!通り。だから、4P3=4C3×3!といった理解で、これを移項して、4C3=4P3/3!で、選び方(4C3)も数えられる。と考えていました。
まず、PとCを考えて、どのような関係があるか見る方法です。これは分かっていました。
しかし、教科書の普通の記載では、4つの異なる文字の中から3つを選ぶ選び方(4C3)は、4つの異なる文字の中から3つを並べる順列(4P3)をまず数え、同じ選び方になっている順列を一つと数えればいいから、4C3=4P3/3!と記載されています。
というのも、Pを操作して、Cに至るという方向性の考え方です。
私は教育実習ではじめてこの考え方を知ったうえ、全く理解できませんでした。なんというか、複数のものを同じに見なすという操作が難しいうえ、全部3!通りになることが自明には思えなかったのです。
そのため、授業当日までこの考え方を理解できず、授業をする際にはまるで落語のように、指導教員が打ち合わせで言った説明を一言一句そのまま喋りました。
しかし、その落語のような説明で、教室の私以外全員が理解しました。私が説明を一通りかたりおえて「ハァハァ…わかった?」と聞いたら、教室が静まり返りました。。。皆腑に落ちたということです。
指導教員には、「色々な考え方・捉え方を出来る事が重要だから、君は数学科向いていないよ。」とはっきり言われました。
この出来事で自分の「抜け」を二つ考えることが出来ました。 まず、一つ目の「抜け」は、大学受験突破のための勉強で解ければいいと深く考えていなかったので、この二通りの考え方をそもそも知らなかったことです。 つぎに、二つ目の「抜け」は、この考え方を知っても、理解することに凄く時間がかかったことです。高1の生徒が1時間でわかったことを、私は3週間かけて学びました。
一つ目は、私が他人の助けを欠いて勉強をすると、一つの考え方に頼って捉えてしまったり、重要な他の考え方を欠いて進んでしまうということです。つまり、「飛ばし」があるというタイプの穴があるのです。 他の人が目を通して難なく把握できる部分がそもそも知覚できていないという人間だったのです。。 二つ目は、私は、PとCの関係の様に、両方を仮定した時にその間の関係を考えるのはものすごく得意ですが、Pに対して操作をして、Cにする。という捉え方自体がものすごく苦手だったということです。 この考え方はPとCだけでなく、結構普遍的なものです。折り紙に応用して考えてみましょう。折り紙は、順序だてて折り目をつけて最終段階で完成するというのが基本ですが、完成までにつける折り目を全て最初につけてから、畳むように完成させるという方法もあります。 私は、あるものを変化させていって、最終的に別のものにする。という考え方に至りにくく、あるものと別のものとを両方みて、その間の関係性をみる。という方が圧倒的に分かりやすいのです。 (障害科学の言葉で言うと、前者が継次処理、後者が同時処理という風に言います。) つまり、私はある発想そのものに至りにくい「盲点」があるというタイプの穴がある人間だったのです。
私は、この2重の穴を生まれつき持っていることを何となく感じていましたが、数学科の指導という高度な「抜け目のなさ」を求められる場面で如実に感じたのでした。 この2重の穴は、いままでポジティブに捉えられたことがありませんでした。 学問を積み上げようとすると、「飛ばし」なく過去の研究を知っている必要が出てきて、困難が生じます。 苦手な考え方には想像力の限界があって、体で覚えるまで頑張るしかないです。 抜け目のなさを求められる場面では、自分はかなり困難があります。 一応補足すると、私は中学受験の時、一日16時間効率よく勉強するというパワープレイを塾の先生に見てもらって、この2重の穴を埋め、入試を突破しました。 つまり、人の何倍もやりまくることによって、穴を埋めていたのです。そのぶん、「抜け」がない人には一生かかっても追いつけないな。と考えていました。
しかし、教育実習で私のことについて生徒に説明する機会が幾度となくありました。そこで、その穴が実は強みになっているかも。と思えたのです。 たとえば、私は大学の学部である障害科学類をなんとなくで決めたのですが、大学在学中に学んだ障害学でもって自分の高校時代の不適応を深く考えることが出来ました。 そして、なんとなくでインドネシア留学に行ったのですが、教育実習中にその話をすると生徒の食いつきがよくなり、授業でも反応を得られるようになりました。 マグロ漁船に興味を持った時もそうです。急に留学に行ったインドネシアが出てきました。 一つの考え方しかできなくても、強固な理論構築が出来なくても、一見関係なさそうな遠くのものを繋げることはできていたんです。 まず、遠くに行ってみる。対象を遠くにおいてみる。という経験を私がすると、今までの経験との関連性を早く見出すことが出来ていたんです。 インドネシア留学から順繰りに考えて行ったら、マグロ漁船にたどり着くことは不可能です。インドネシアという共通項は、同時に全く違うものを考える事で初めてたどりつける関係性だと考えています。 この遠いものと遠いものを結び付ける際に、より遠いもの同士を結び付けられることこそが、自分の「抜け」を活かす方法だ。と思ったんです。
本質的なたとえ話をします。同じ量のインクを用意します。そのとき、破線と太い線どっちが遠くまで線を引けるか考えてください。勿論破線ですよね。 偏った考え方、飛ばしがある見方を破線、抜け目のない考え方を太い線と考えてみてください。インクは努力や想像力です。 穴のある考え方・見方の方が、離れた事柄どうしの関連性をとらえやすいという事です。抜けの無い見方・考え方では、想像力の限界に陥る場面でも、関係性を捉えることが出来ます。 今まで、破線を何度も同じ場所に繰り返し引いて、実線にする。というような考え方ばかりをしてしまっていました。さきの、人の何倍もやりまくることで、考えの穴を埋めていたような話です。 しかし、より離れたものを繋ぐ。という考え方で見ると、破線は優れているんです。実線より同じ量のインクで長い線を弾けるからです。 私の性質は、遠くに行って新しい関係性を繋いでくることが本分なんだ。と思えるようになったのです。
この発想の転換は人生の進路選択に非常に役に立っています。とくに、「飛ばし」があるとだめな着実に進んでいる世界を避け、前人未踏の最前線に立ち世界を切り開く方向性でやれば、 一つの考え方・偏った方向性だったとしても、価値のある道しるべを作っていけるだろうと考えています。
今日は、ワッチ中にエンジンの最高圧力を測るのを見学しました。 主機が負荷がかかっているときに、各シリンダ内の圧力、燃料ラック、排気温度を遠隔の計器ではなくて直接観測します。 高負荷時に行うのが理想ですが、月1で行わなければならないので、低負荷の今日に行ったそうです。 燃料ラックは、虫眼鏡で、排気温度は温度計を使うのですが、シリンダ内圧力を計測するのは新しい仕事でした。 インジケータコックをふかして、ごみを除去したのちに、排気口に直接ゲージを取り付けて測ります。 シリンダ内圧力は各シリンダで差が激しくなければ、異常なしだそうです。一つだけ圧力が低いと、燃料噴射不良などが考えられるそうです。
また、今日はゲージの中に充填されている液体はグリセリンという事を知りました。 そして、FO清浄機の周りを掃除していたら、急に吸い込み圧力が下がって焦ったのですが、聞いてみると数時間に一度吸い込みを止めて自動で洗浄するようになっているとのことでした。
忍路海山のあたりでは、フロアが物理的に揺れていて、音楽を聴くととても楽しいです。 音楽プレイヤーを使って、過去に聴いていた音楽を辿ることをしています。 すると昔は、今より何十倍も希望を持って音楽を聴いていたことを思い出しました。 中学1年生の時にダウンした曲も聞けるのです。そのころはブログもやっていませんでしたから、何とかファイルの更新日時の情報を頼りに思い出しました。 中学1年生のころはどんな音楽の聴き方をしていたかというと、登校前にPCを起動してYouTubeで聞きたい曲をダウンして、プレイヤーに取り組む。電車内でそれを聞く。ということを繰り返す日々を送っていました。 何故思い出したかというと、7時頃にダウンロードした形跡があったからです。 聴いていた曲は次のような並びです。
- 東方永夜抄や東方紅魔郷のBGM
- TerrariaのBGM
- モンスターハンターのBGM
- ボーカロイド 私の時間、メルトなど
- Castle CrasersのBGM
- また、クラシカルな有名なゲームBGM カービィやロックマン、スーパーマリオ64など
私は、ゲームBGMの鑑賞から音楽に入った人間だったので、実際にやったことあるゲームのBGMやその参考元となった曲を聞いていました。 ボーカロイドもありますが、プロジェクトディーバを3DSでやっていので、そこで触れたゲーム音楽のくくりです。 私はゲームを夢中になってプレイしたり、毎日続けてプレイするのが苦手でしたが、電車の中で音楽を聴く時間は毎日ありました。 なので、少しずつゲームをプレイすることより、ゲーム音楽への関心が高まるようになりました。 また、気に入るようなバンドや歌手は殆どなかったので、興味はゲームBGMに集中しました。 というより、むしろバンドを毛嫌いしていました。うろ覚えですが次のような理由でです。
- 歌詞に馴染めない、歌うのが苦手
- なんか嫌い・なじみがない
- ドラムとギターサウンドや特定のビートのパターンなど同じようなサウンドにまとまってしまう。 そんな感じで、プレイして楽しかったという経験がある、馴染みやすいゲームミュージックばかり追うようになりました。 逆にゲームミュージックは魅力的でした。
- 歌詞がない分、メロディ展開に自由度があって面白い。
- サンプラーやシンセサイザーなどを活用して、音色にバリエーションがある。
- ゲーム場面や登場キャラに合わせて曲がつくられているからイメージしやすい。
さらにその考え方を拡充したのは、東方原作シリーズのBGMです。 メロディや音色の多様さに加え、その元ネタとなるような音楽にも興味が湧きました。 たとえば、永夜抄6面ボスBの蓬莱山輝夜のBGM「竹取飛翔」では、ゼビウスのBGMに近い音が使われます。 また、ボスAの八意永琳のBGM「千年幻想郷」では、ルドラの秘宝のBGMと似たメロディが使われます。 だから、一つの曲を聴いて終わりではなく、さらにその元となるような曲を探るような楽しみもありました。 また、先にあげたゲームミュージックの魅力を十二分に引き出した楽曲が東方だけで100曲以上楽しめたので、量という面でも、価値観を支える一助になりました。 面白く身近なゲームミュージック世界と、遠くつまらないバンド・歌手の曲の世界と対比して考えていたように思います。ボーカル曲はなんか聞いてみてもいまいち納得できないな。と思っていたと思います。
私が、ゲームミュージックにハマっていた理由はこれでいいのですが、船でその時聴いていた音楽を聞くうちに、どうしてもっと楽しかったのかを思い出しました。 それは、「いい音楽」というのが分かりやすかったからです。価値観が直線的で、ちょっと聞いてこれは「ダメ」だな、「なんか違う」と思うのが早かったです。 だから、深堀して知らなかった新しい「いい音楽」にたどり着けるかもしれない。という気持ちで、希望にあふれていたのです。 ただ、当時は中学1年生だったので、digのやり方が分からずその可能性に酔ってただけなような可能性も考えられます。 今日は、その価値観について言葉にしてみたいと思います。
①ゲームっぽい楽器をうまく使っていること 私には、ゲームミュージックを聴く中で生まれた、ゲームミュージックっぽい楽器の理想がありました。それをうまく使っていることが、評価の基準でした。 ②ノれる、アイコニックなメロディがあること ゲームミュージックは印象的であればあるほどいいと思っていました。 ③ゲーム場面や登場キャラにどれだけ合致しているか 音楽を聴いただけでどのような場面、心情、気候なのかという事が分かれば評価が高かったです。 ④面白いリズム、エキゾチックさ 普通では聴いたことが無いような拍子や聴いたことのないパーカスがあるものは、評価が高かったです。
何曲か例をあげて、評価してみたいと思います。 スーパーマリオ64「かいぞくのいりえ」 ①このシンセサウンドは、ゲーム感が凄い 90点 ②アイコニックとまではいかないが覚えられる 80点 ③確かに、水中ステージっぽいかも 75点 ④ベースやドラムは普通かな 60点
結論A-判定
東方永夜抄EXボス藤原妹紅「月まで届け、不死の煙」 ①アルペジオやZUNペット、謎の弦楽器 いいね85点 ②メロディはすげぇな 90点 ③藤原妹紅の弾幕感があるよな 80点 ④ドラムが結構面白い 70点
今日も、ワッチでした。次航海から一人でワッチを任せてもらえるそうです。「わからなかった、間違えました、では済まないから気を引き締めるように。」と言われました。 1か月でチュートリアルが終わったと言えるかもしれません。次の航海からは、また生活リズムが変わるので、いつもと変わるときは準備して挑みたいです。 真鍮磨きをしていたら、FOヒータというものを見つけました。船ではFOはA重油を用いているので、加熱は必要ないそうですが、一応ついているそうです。 ファーストとマグロ漁船の話をしていたら、「マグロ船なら未経験から5年で機関長になれる」という話にすごく食いついていました。
ファーストは、「水産高校と専攻科で5年間勉強して、官船で海技大で学生に教えているような先生に教わって、地道に積み重ねていったことで自分がある。」と言っていて、対照的なキャリアを面白がっていました。 遠洋マグロ漁船のキャリアアップはこうです。
- 未経験で員級B、つまり漁獲高に対しての取り代0.8からスタート。
- 1-2年たてば、機関員や甲板員として取り代1.0になり収入が1.25倍になる。
- 3年乗船履歴を積めば、口述試験を受けられるようになるので、海技免状を取得できる。免状を取ったのちは2等機関士などの役職をもって取り代1.2になる。
- 士官を1年やれば、1等機関士や機関長になれるので、1等機関士になれる。
- 次の航海で機関長が立場を譲れば最短で6年目から機関長になれる。機関長の取り代は1.6なので、最初の給料から倍近くになる。
仮に、員級Bが500万円もらえる10か月航海の船に乗った場合を考えると、5年後には年収1000万円になれることになります。 言葉にしてみれば楽そうに思えますが、食いつくファーストを横目に私ははにかんでいました。というのも、マグロ船の1日は普通の感覚よりかなり長いからです。 たとえば、私が3週間近海船に乗った時は、最後の揚げ縄があと4時間ほどで終わる合図である、日の出が出てはじめて「操業があと少しで終わる」と思えました。 私が今乗っている船では、あと休みまで2週間ほどですが、「あとちょっと頑張れば終わる。」と思えています。あまりにも大きな違いです。 何故この違いが生まれるのかというと、マグロ船の揚げ縄が本当に長丁場だからです。まず3時間頑張る。いやいやな気持ちで5時間頑張る。限界を超えた部分で5時間頑張る。トラブルがあればそれ以上。しかも、明確な休憩時間はない。 これで毎日が構成されていて、密度が非常に高いのです。 言葉にしてみれば、5航海ですが、遠洋船の1年の操業数は約180回。すなわち、5航海というのは、限界を超えるような作業を900回乗り越えた後にある境地と言えるのです。 だから、机上の論で「夢あるな。」と言うファーストと温度差が生まれてしまいました。
しかし、自分が一番欲しいものは「マグロ船を経験して、人生の一部にした自分」であることは間違いないです。というのも、近海船では毎日ボスラッシュみたいな刺激的な日々を過ごせました。あれより面白いエピソードはありません。 そのうえ、筋力、精神力、経済力、器の大きさ、社会性が育つと確信しました。 そして、創作にも役に立つと思っています。何故なら、毎日の職人仕事によって仕事への忍耐力が育つと考えているからです。
この、過酷な職人仕事が創作に役に立つという発想は、職人仕事でキャリアを形成した画家、吉岡雅哉を学ぶと間違っていないなと思えます。
これが今日の小噺になります。
吉岡雅哉さんの絵の凄さを理解するには、まず笹山直規さんを知ると分かりやすいです。
笹山さんはもともとグロテスクな絵を専門に描く死体画家として名をあげたイロモノの画家でした。
しかし、40歳を過ぎて画家宣言をして「画家王」を名乗り、地味な静物画を描くようになり、対象の新奇性にとらわれない美しさを追究しだしていました。
私もこの絵や美術に対する純粋な姿勢に感銘を受けてマグロ漁船前の1月に、個展「up hill」を見に行きました。
ワサビやアイスクリーム、卵、靴、近所の建物などありふれたモチーフを丁寧に絵画にするという方向性がステキでした。
審美眼の画家もうならせた階段画
また、笹山さんの他の画家への審美眼は共感できるものがありました。
彼の評価する同時代の画家についての投稿
では10人以上あげられていましたが、私にとってどの画家も初めて聞く名前なのにもかかわらず、調べてみると独自世界を高めて進化しているような絵を書く人ばかりでした。好みも自分と結構合うと思いました。
俺の画家ライバルは井澤由花子だけ、後は全員ザコ。
という投稿で紹介されていた井澤由花子もスゲーなと単純に思いました。とにかく、笹山さんは高い感受性で他人の作品の可能性に敏感な人でした。
そんな笹山さんが、Xでの絡みで出会ってしまった本当にヤバい絵がありました。
それが、吉岡雅哉の階段画です。
この階段の絵を見てすぐ、笹山は吉岡を真似して自宅の階段を書くようになりました。そして、階段の絵を書く画家を4人集めた「階段派」というグループを作り吉岡を「マスター」として派の頂点に置いたのです。
さらに、階段派展というグループ展まで企画したのです。
笹山は階段画の可能性を次のように語りました。
「階段というのは身の回りにありふれているものにも関わらず、西洋絵画の巨匠たちが地味すぎて目を付けなかった。ここに、洋画を我々が更新できる余地がある。」と語り、階段派の新規性をといたのです。
私もその意見に賛同し、油彩で階段を書いてみました。(未完)とにかく、可能性を感じさせる1枚の絵だったのです。
笹山さんの審美眼は正しく、グループ展での吉岡さんの階段画は予想の数段上を行きました。それはマグロ漁船前の4月のことでした。
なんと、制作した大量の階段画を壁一面にしきつめるような展示をしたうえ、その一つ一つが、美術館にあってもおかしくないほどの個性と技量をほこる作品だったのです。
私も、この展示を実際に見て魔法のような感覚に陥りました。まず、壁全体の絵画が目に入ります。そこから少しずつ個々の絵に注目し、その奥深さに感銘をうけます。その繰り返しで2時間ほど滞在していました。
この展示は圧倒的で、グループ展とは名ばかりで吉岡さんの独壇場だったのです。
比較すると、グループ展での笹山さんの絵の存在感は小さいものでした。
そこで、笹山さんはこの格差を前にして、吉岡さんと袂を分かち、自身が立ち上げた階段派を脱退します。
そこで、自身も壁階段を再現する個展に挑むことになりました。
それが、マグロ漁船後の7月にあった個展「Up and Down」です。
笹山さんは油彩が得意な画家ではなかったのですが、これを機にアラプリマで油彩を100点持ち込んだようです。
私の感想としては、笹山さんが絵の鍛錬をしているという心意気は伝わってきて、一つ一つの絵の面白さも分かりました。しかし、吉岡さんの壁階段のような静謐さや神秘さ、えげつなさは感じられませんでした。
階段を絵にする。という分野においては、吉岡さんはまさに、はまり役でした。モネにとっての睡蓮というレベルで、笹山さんが敵う相手ではなかったのです。
そこで、何故吉岡さんの壁階段が際立っているのかを考えざるを無くなりました。
私が考えるに、吉岡さんの階段画が先んじている部分は次の通りです。
- 元宮大工という経歴があり、対象としている階段もアトリエの中にある自ら手掛けたものであること。
- 巨匠の模写などをしていた時期が長く、絵画の基礎的体力が違った。
- 「大工仕事でくたくたになるように、絵を書いてそこまで至りたい。」と繰り返し発言しており、職人仕事の延長線として制作に挑んでいたこと。
モネが睡蓮にこだわるようになったのは、自身の庭を作り、そこに睡蓮を植えてからというのは有名な話です。一つ目の要素に関しても同様に、吉岡さんが階段を描いたのも偶然ではなく、自ら手掛けた愛着のある対象だったからです。 二つ目の要素は、吉岡さんは、ラファエロやクールベ、レンブラントなどの絵画の模写を沢山しており、絵画的な絵についての基礎がありました。笹山さんも個展「Up and Down」ののちにベラスケスの模写をしています。 三つ目の要素について、大工という繰り返しの職人仕事が、階段という地味な対象物を繰り返し書くという苦行を可能にさせました。笹山さんも肉体労働従事者でしたが、職人仕事ではありませんでした。
私がマグロ漁船で感じたものはとくに三つの目の要素です。近海船での仕事は毎日同じでした。投縄して揚縄をする。毎日それだけの繰り返しです。そこで働くなか、飽きるという感情や理屈を超えて手を動かし続けるという概念を学びました。 その心意気を持って創作に励めば、「繰り返しで、単調で面倒だからやめておこう」というような感情を捨てて取り組めるなと思ったのです。(私は、その領域に達する前に眠れなさ過ぎて近海船をやめてしまったのですが。。。だから階段の絵一個も完成させられないんです。) つまり、繰り返しの境地に至れば、他の人がやろうと思わない作業や多くの作業が出来るようになって、他の作家と差を付けられると思ったのです。 また、その境地に至れば、吉岡さんが笹山さんに多大な影響を与えたように、世界を変えるような創作にたどり着く一助になるはずです。世界を変えれたら、超がつくほど面白いはずです。 だから、私は作家になりたいと同時に、他の職人仕事で鍛えてパワープレイのステージに至りたいのです。
今日で仕事始めて1か月がたちました。長く続けられる仕事を探していましたので、とりあえず前回の近海船の仕事より長く続けられて、よかったです。 今日は、相変わらず真鍮磨きをしていました。すこしすると、耳栓をしてても聞こえたピローンという音が鳴りました。機関長に続いて監視室に入ったのですが、それは電話がかかってきた音で、電話に出ているときは、監視室のドアを開けるな。と言われました。 機関室の中で耳栓をして仕事をしていると気付きにくいですが、機関室内はかなりの騒音です。なので、監視室のドアを開けると室内に騒音が入ってきて電話が聞こえにくくなってしまうのです。今度から、気を付けたいです。 そして、昼過ぎにまた、主機をかけて、揚錨、忍路海山に向けて出発しました。 主機をかける際にエアランした後に、インジケータコックを閉めるのを忘れました。インジケータコックを閉めないと大きな音がなってしまうらしいので忘れないようにしたいです。 また、今回もしっかりゲージを確認してゆっくりやれ。と言われました。タービンの圧力も確認しろと言われました。もう少し焦らずやりたいです。 揚錨の際には、今日は二本同時にチェーンロッカーに収納したので、担当の人は凄く大変だったそうです。というのも、船のチェーンロッカーが欠陥で手前側にはみ出てくるのでそれを奥に押さないといけない仕事があります。 それをやっていたら、軍手をしていたのに、指の肉が抉れてしまったそうです。労災ですね。 忍路海山に行く道は結構好きです。というのも、利尻富士や礼文島が見えるからです。 ただ、かなり揺れるので大変です。酷い時は、かけてるハンガーがスライドして鈍い金属音が鳴ります。 お風呂を入れる時、前回の手続きでやったら、点いていない発電機から冷却清水を引っ張ってくるところでした。また、1週間ぶりに中間軸の温度を測ったら、頭をぶつけてしまいました。 久しぶりにやる作業は、一度考えてからやらないと、上手くいかないことが分かりました。次に、流れが変わるときは、意識して作業に向き合いたいです。
今日は疲れていたのか、18時ごろに食事と歯磨きが終わると朝まで寝てしまいました。
今日は、空調機を冷房から暖房に切り替えました。やり方を教わったので、記します。
- 空調機をファン設定にする
- コントローラーの選択ボタンを長押しして、CからHに切り替える
- 自動でオンになる温度を20.5℃、オフになる温度を21.5℃にする。
- 決定ボタンを押す。
- 空調機本体についているボタンを操作してファン設定からヒーターの設定に切り替える。
- ゲージを確認する。
つぎに、あまりにも暇すぎて指の間接を数えだしたりしていたら、見かねた機関長が真鍮磨きやるぞと言って、やり方を教えてもらいました。
- オレンジ色のハンドパッド#3000とウエスを準備する。
- ピカールを適量ハンドパッドにつける。
- 真鍮の部品にピカールをつける。
- ウエスで磨く。
丁寧にやると一つの部品に10分20分とかかるので、1時間くらい簡単に時間を潰すことが出来ました。 少しずつ進めていきたいです。
今日は、全体的に主体性がない一日でした。
というのも、何かをしたいという気持ちが全然わかず、ボケーとしていたのです。
なので、それに関連して、自分からすすんでしたことではないけど、印象深かった経験を話します。
北アルプスで2回死にかけたことがある
父は、山キチガイで、暴れ者です。
たとえば、母が出産する際にも、山で安産祈願をすると言って、出産に立ち会わなかったので、母はそれが心の傷になってしまったそうです。
父の山への情熱の矛先は私にも及び、2度死にかけることになるのです。
まずは、私が中学2年生の頃です。
GWに槍ヶ岳に連れていかれました。私は登山に関するトレーニングを一切受けたことがありませんでした。
GWの槍ヶ岳の難易度は、国内の山の中で最高です。2泊3日で行くような場所です。そこに、私は父と二人で行くことになりました。
はじめてアイゼンを付けて山登りをしたのが槍ヶ岳でした。
槍ヶ岳山荘に行ったところで、登頂アタックはピッケル技術なしでは厳しいと判断し、一泊して下山しました。
下るのも下るので大変で、風速15メートルの暴風が吹き荒れ一度ホワイトアウト・視界約2メートルの状況で、コースを外れてしまいました。
一度、コンパスと地図を用意して下山の向きを確認してからは、父とくっついて少しずつ進んでなんとか降りることが出来ました。
覚えている事は、槍ヶ岳に上る際に、うずくまっている人と、地面に埋まっている人がいたことです。
後に知ったニュースですが、うずくまっていた人や埋まっていた人は遭難者で、死人だったようです。
ただ、これはそこまで嫌な思い出にはなりませんでした。
強引なやり方の父親に嫌気がさし、大学2年生の1月から疎遠にしていたのですが、「もう無理がきかなくなってしまいました。会いたいです。」との手紙が届いたのと、「親孝行は親が元気なうちに」とアドバイスをくれた人の影響、
大学を卒業して心理的な余裕ができたことなどで、大学4年生の3月卒業式前に父と連絡を取りました。
父はいつも山に一緒に行きたいと言っていたので、「山につき合うよ」と大学の卒業式で話しました。
すると、GWに連れていかれたのは、槍ヶ岳と同じく北アルプスに位置する奥穂高岳でした。「槍ヶ岳よりは厳しくない」とのふれこみで行きましたが、実際は槍ヶ岳よりピンチに陥りました。
横尾山荘から出て、涸沢につくまで何度もアイゼンが外れました。中学2年生の頃使っていたものと同じものでしたが、固定具の劣化が進んでいたようです。
涸沢から13時に出発し、奥穂高岳山荘への直登ルートを選択しました。
これが最悪でした。私は、涸沢小屋の表示を見てザイティングラードの右じゃねぇの?と何度も言ったのですが、父は「いつもは左なんだ」と突っぱねました。
すると、そこはトレイルのない、雪崩頻発のルートだったのです。非圧雪で全然進めない、アイゼンは外れる、天候は雹が打ち付ける荒天。かなり厳しい条件でした。
1時間ほど登るたびに、雪で白んだ景色に、石垣やポールのような幻覚が見え、いつまでたっても奥穂高岳山荘にはたどり着けません。
ザイティングラードの中を進もうと試みて、結局諦めて元に戻り40分くらい浪費した場面では、私はもう終わったなと思っていました。
それでも、上り続けているといっそう斜面が急になり、休める場所もなくなり私では歯が立たなくなりました。そこで、父が先頭に立ち道を固めます。その後を私は慣れないピッケルを突き刺しながら、四つん這いで進んでいきました。
体力的にはまだ余裕があったのですが、息が切れて頭が痛かったことを覚えています。
最終的に山荘ついたのは、18時ちょうど。山荘についたときには、空が真っ赤になりアイゼンが片方なくなっていました。アイゼンがなくして斜面は登れませんから、ほんとうにギリギリでアイゼンをロストしたことになります。
山荘に入り、
落ち着いたころにはどっと走馬灯のような記憶があふれ出て、デービゴを飲んで寝たことを覚えています。
翌朝父は奥穂高岳に登頂して、知人の骨を散骨したかったようですが、「昨日運よく生き残っただけで今日は死ぬ」と私は拒否しました。そのころ、前日の荒天中にジャンダルムに挑戦して死亡した人がヘリで回収されているのが見えました。
それだけで終わればよかったのですが、また最悪でした。父は初日に上高地から新宿行きのバスを買っていたのですが、下山中全然間に合わないペースで歩いていました。
登山靴が合わないものを使い続けていたからです。
そのため、父と横尾山荘あたりで、別れ私だけがバスに乗る事にしました。なので、横尾山荘から走って上高地バスセンターまで帰ったのです。
装備不足、体力不足、情報不足の状態で若いころのように高山に上り続け、文句をいうと、「じゃあ自分で全部計画しろ」などと言ってくるため、最悪の思い出になりました。
のちに父は夏山でもう一度ジャンダルムに挑戦し、滑落して救助されたようです。