風速35m

強風による走錨リスク
今日は、主機を始動しました。北海道の日本海側全域に暴風警報が出ていて、錨泊をしていても走錨の可能性があり、再投錨をする必要があったからです。 というのも、風があまりにも強いと錨を打っても、そのまま流されてしまう事があります。それを走錨と言います。走錨すると最悪の場合座礁してしまう事があるので、プロペラをちょくちょく動かしてそれに対処する必要があるのです。 また、根本的な解決策として、一度錨をあげて、打ち直す必要があります。 波はそこまで高くはなかったのですが、風が強く、揚錨をしているときには飛ばされそうでした。再投錨では両舷から錨を打ちました。自然が猛威を振るっていた一日でした。 もう少しの間錨泊を続けるそうなので、本航海はほとんど沖には出ないのかもしれません。 雑用海水ポンプを甲板でつけるには、ボックスの中のスイッチを押せばいい事を知りました。

つぎに、主機をかけてすぐ、日誌を取りました。すると、潤滑油の圧力がふだんより高くなりました。何故かと機関長に聞くと、潤滑油は気温が低いと、固くなり、圧力が上がると教わりました。 日没後に喫煙所に出ると100周年記念塔は怪しく光って見えました。あれは、エヴァの初号機と同じ大きさらしいので、エヴァが覚醒したらあんな感じなのかなぁとイメージを膨らましました。

なかなか気分が下がりがちで、楽しくありませんでしたが、寝たら少し気分が良くなりました。

2026-10-29    
稚内は楽しかった

今日はおとといの日誌の書き方が4つも抜けがあったと指摘されました。

  • 積算時間の第一と第二を間違えたこと。
  • 停泊当直日誌を書かなかったこと。
  • 燃料消費をノートに書かかなかったこと。
  • 燃料の残量の0を一つ落として写していたこと。 日誌とノートを書くのを忘れたのは、初めて一人でやった仕事だったので次から頑張りたいです。 そして、残りの2つが間違っていたのはもう少し慣れていきたいです。

また、今日は主機の起動をやらせてもらいました。 そこでターニングのツメをかけることが出来ませんでした。 ターニングの爪のかけ方は、軸にかけてから爪をかけるのではなく爪をかけてから軸にかけるようにすればいい事が分かりました。 また、主機予備LOポンプを押した後、すぐに減速機予備LOポンプを押そうとしてしまいました。主機予備LOポンプを押した時点で、LOのゲージを確認しなければなりませんでした。 「これが機関場だから。」と怒られました。

その後、補油の仕事しました。メス姉ぇという会社の船が、横向きに止まってきて、甲板部は綱を取って固定して、 機関部ははしごをかけてホースを繋ぎました。 最後に船の各所のエア抜きに繋がっていた栓を抜く仕事をしました。 また、補油後は巻き尺で油量を測定し油量が大きい方から最初のFOタンク切り替えをします。 また、その作業では清浄機に空気が入ることがあるので慎重に行う事を教わりました。

つぎに出港の仕事をしました。いつも「ほかの人に聞けよ」と言ってくる甲板の人が今日はしっかり教えてくれました。

  • あゆみのネットは陸で片づけるから最初にほどく。
  • パレットはともに続く階段まで下ろしたら押して運ぶ
  • ウインチのカバーの紐は最後ウインチ自体にに巻き付けて結ぶ。
  • クレーンのカバーの紐はカバーを覆うように2周くらいしてから結ぶ。

そして、ワッチ中には、空気分配弁について教えてもらいました。始動空気の圧力というのは、最初からかかっているのですが、 シリンダ内に入るには、それぞれのピストンの位置を考慮しなければなりません。空気分配弁というカム軸に繋がった機構によって、 適切なタイミングで管制空気を送り、始動させているのです。 そして、補機と主機の違いとして、空気を使う始動にも2種類ある事を教わりました。
「空気始動は主に中大形ディーゼルエンジンに採用されており、空気槽に蓄えられた圧縮空気を使用してエンジンを始動させるもので、圧縮空気を、ピストンの上部に送り、その膨張力によってピストンを勢いよく押し下げてクランク軸を廻し始動させる方式と、電気始動用のスターティングモータの代わりにエアモータを使用して始動させる方式とがある。」
引用元:日本財団
主機の始動方法は、圧縮空気でピストンを押し下げます。 補機の始動方法は、空気でエアモータを回してその動力で始動させます。

また、機付きポンプの動力についても教わりました。機付きポンプと軸受けの間には、見えない歯車が噛んでいて、 軸受けから直接動力が伝わってポンプが回っています。だから、機動して、初めて機付きポンプが回るのです。

今日は稚内での思い出(ほとんどが1日目)を紹介します。 函館が寄港地のなかで、トップティアで稚内や境港が最下位クラスだ。と何度も会話の中で聞いていたので、 期待していませんでしたが、函館と同じくらい楽しめました。何故なら、函館ロープウェイのような映え夜景よりも、 広い空やオーシャンビューが楽しめたうえ、飲食店も普通に利用できたからです。

フレンチドッグ
稚内で最初に食べたのはフレンチドッグです。北海道限定の砂糖味をチョイスしました。中のソーセージは魚肉です。 ああ、この財布が狐に取られた財布です。
ギャラリー2 ギャラリー3 ギャラリー4 ギャラリー5 稚内ギャラリーには昭和をテーマにした展示があります。
ドーム 稚内港の先には波から守るためのドームがあります。 樺太の戦争 稚内市樺太記念館には、終戦期に南樺太に進行してきたロシア軍の詳細な時系列の記録がありました。 氷雪の門 氷雪の門の方向には樺太があります。樺太に故郷がある人のための碑です。 樺太 樺太です。 さようなら 戦後すぐ攻めてきたロシアに怯え電話通信士9人が自死したという痛ましい事件の碑も近くにあります。 昼飯 昼飯 昼飯ははずれを引いて、チャーハンギョーザを別々に頼んだら、1450円もしました。ギョーザ700円はやりすぎじゃない? 開基100周年記念棟 開基100周年記念棟は函館のタワーより眺めがいいのに入館料が安くて嬉しかったです。利尻富士は好きです。 展望台の1階と2階には展示もありました。大韓航空機墜落事件や大泊という樺太が日本だった時代の写真が残っています。 大泊 稚内の鹿 稚内の山には普通に鹿がいます。 ホタテの貝殻 稚内港にはホタテが山積みになっていて、ハエや狐の温床になています。 ロシア語が多いです ロシア語の看板を多く目にします。 パスタ 4日目に行ったポパイという喫茶店はパスタが700円で食べられて、サイコーでした。

総括すると、ちょっと1日目に色々行き過ぎていたんです。雲一つなく晴れていたし、風も弱いし、マップを使わずに何となくいった道にいろんなものを見つけてサイコーだったからです。 稚内ギャラリー、ドーム、氷雪の門、100周年棟などです。

そのうえ、スマホも切れて夕暮れだったのに調子乗って最北端マックも行こうとしたのが運のツキでした。 マックを出た後真っ暗で迷ってしまい、狐にカツアゲされたのです。 楽しかったのはいい事だったんですけど、あれもこれもと夢を膨らまし過ぎていたので、天罰が下ったと思うようになりました。 辛すぎることが起きると突如魔法のような奇跡がはたらくように、楽しい時もやり過ぎると不思議なしっぺ返しを喰らうという事です。

2026-10-28    
尊敬している人2-大日本ラブドール党総裁?兵頭喜貴-

今日は朝から、船での仕事を終わらせて、買い出しに行きました。財布失くしてあまり意味がないですが、仕込みにかかった費用をまとめます。 収入

  • 当直代と食費 +11500円
  • 財布損失 -30000円
    計-18500円

観光代

  • 稚内市北方記念館 -200円
  • 入山料としてのお賽銭 -500円
  • 頂上でのアイスクリーム -300円
    計-1100円

食費

  • 昼のチャーハンギョウザ -1550円
  • 夜のマック -690円
  • 2日目の昼のすきや -480円
  • 3日目のパン -651円
  • 3日目の総菜や酒 -512円
  • 4日目のパスタ -700円
  • 4日目の夜食 -648円(予定)
    計-5731円

仕込み

  • アネロンとシャンプー -1963円
  • ジュースやおかし -2968円 計-4931円
    累計-30262円

累計で30000円ほどの損失でしょうか。 また、前回と比較すると、アネロン買った分少し高くなったくらいで、仕込みや食費にかかった金額はあまり変わらないように思いました。観光費と交通費が安かったので、もらったお金だけで殆どまかなえてますね。 財布落としてなきゃ最高でしたが、悔やんでもしょうがないです。お稲荷さんにお布施した分、狐憑きの美女がこれから迎えに来てくれるかもしれないと思っておきます。
尊敬している人の話の続き 観光で得た画像は明日まとめることにして、今日は尊敬している人について書きたいと思います。何故なら、この記事はネットの記事を参照しないと書けないことだったからです。 私が尊敬している人の二人目は兵頭喜貴さんです。 この方は、かなりヤバイ活動をたくさんしてる暴れ者です。何故そんな人と関わるようになったのか。という事について説明します。 私はまず、兵頭さんを知る前にオリエント工業に出会いました。 高2の1月8日正月に不眠症でなかば諦めて深夜番組を見ていたら、
有吉の番組にてオリエント工業の製品が紹介されていました。 当時は、サイトに軽くアクセスして様子をうかがうくらいで、がっつり調べることはしていませんでした。 そこから、時が経ち高3になったと同時に実家から父親が出て行ったので、自分の部屋を獲得することになりました。 すると、アダルトサイトも自分のPCで好きなだけ見ることが出来るようになりました。高3の5月に初めてエロゲーをPCにダウンして、性について遅れたスタートを切りました(これについてもまた書きます)。 そこで、オリエント工業のサイトも念入りに見ることができるようになりました。見たものはフォトコンテストにアップされていたこの写真です。 写真をみてすぐ只者ではないと感じ、すぐに名前を検索しました。すると、本人が実名顔出しでブログを更新していて、予約をすれば誰でも会う事ができるようになっていました。 というのも、当時兵頭さんは八潮秘宝館という自宅兼博物館を一般公開していました。メールで予約さえすれば、誰でも行くことが出来ました。 当時は、家庭環境の崩壊でどうにでもなれと思っていたのと、ブログを片っ端から読んで、写真より八潮秘宝館がヤバイとわかったので、学校が休みになった高3の8月のタイミングで来館を希望しました。 来館した当時の精神状況を予感させるような画像が残っています。 部屋を案内してくれただけではなく、昼間から飲みながら高校3年生の私に、田舎の実態、世界史、大人の実態などを説いてくれた記憶があります。 家族関係について悩みを打ち明けると、「お母さまは何歳ですか?」「それは閉経によって離婚したんだろうね。」と話していたこと、母に親権が移ったのに何故苗字が変わらないのか。と聞いたら、 「女性は離婚した後苗字を何にしてもよいと法律で決まっている。」と教えてくれたことを覚えています。その歯に衣着せぬ真実に基づいたトークにある程度気持ちがすっきりしたことを覚えています。 当時のブログにつぎのような表現が残っていました。 「そうえばちょっと前に担任と面談したんですけど、参考になることが全くなく、大日本ラブドール党総裁と喋ったときのほうが、70倍はためになりました。」
つまり、当時の自分にとっては昼間から飲んだくれて、家に高校生を招いて説法を説いてくれるダメなおっさんの言葉が届いていたんです。 この一連の流れが兵頭さんと知り合ったきっかけです。

私は、尊敬している人の基準に「こんな生き方があったのか、こんな自由でよかったのか。という新鮮な価値を発見させてくれた人、つまり私を自由にさせてくれた人」としています。 何故兵頭さんを尊敬しているかというと、自分を自由にしてくれたと思っているからです。 本当は自由にしてくれた部分が3つあるのですが、2つに絞って書きたいと思います。(あと一つはまた今度書きます)

呪われた人生でも楽しく・オモシロく生きていい
私が知っている人の中でも兵頭さんの人生は、生まれつきの要因で大きな動乱にトップクラスで巻き込まれ続けていると思っています。 というのも、ブログに書いてあるように父親・叔父が自殺しています。 そして、自身も難病を患って日常生活に大きな制限を受けています。 さらに、後継ぎの予定だった義理の息子は、タイ製のホルモン剤を乱用して頭がパーになって、親を訴えようとしているそうです。 この3つだけでも、生まれつき呪われていると断じてよいと思っています。 しかし、呪いをものともせず楽しく・痛快なほどオモシロく生きていると思っています。私が一番凄いと思ったのは、人形裁判事件です。 兵頭さんはスミレ部隊と呼ばれるラブドール小隊に重火器や軍服を装備させ、 戦争画 チックに写真を取り、戦争風のストーリーを付けた同人誌を作っていました。 そこで、スミレ部隊が壊滅する場面として取り上げられたのがこの写真です。 同人誌内では「玉砕」と文字が振ってありました。 しかし、その言葉は創作ではありませんでした。というのも、廃墟でこの場面を撮影していたスミレ部隊が全て盗難にあってしまったのです。 被害総額は100万円以上で、入手困難な品もあったそうで、非常に不幸、理不尽・呪われている場面だと言えると思います。 しかし、兵頭さんの真骨頂はここからの行動にあるのです。
その後、ブログ読者がヤフオクにて盗難品が出品されていることを通報したことをきっかけに次第に犯人に近づいていったのです。 そして、犯人が分かってもなかなか捜査に踏み込まない県警にしびれを切らした兵頭さんは、自作の街宣車 を制作し、裁判所の前で駐屯したり、新宿駅で街宣したりしました。それでようやく、壊れたドールの一部を返してもらう事に成功し、裁判にも勝訴することが出来ました。 さらに、その街宣の様子や裁判関連の文書をリアルタイムにネットにアップし、激動の情勢を楽しんでいました。 つまり、大きな不幸や理不尽を、自身の行動によって跳ね除けたうえ、それをオモシロくしてしまったのです。 私が、この件で思ったのは、こんな自由じゃダメだよ。イカレすぎてて目をふさぎたくなるよ。という気持ちと同時に、悪党に対してだったら、ここまでやっても違法ではないんだ。やり返してもいいんだ。というポジティブな気持ちになりました。 くわえて、不幸や犯罪に挑むのに街宣車をわざわざ作るなど、その過程を楽しんでもいいんだと思いました。 この件から、私の人生についても、理不尽なことや嫌なことがあったとき、法に基づいてさえいれば常識外れの無茶な手段をとってもいいし、ふざけた様な方法で対抗してもいい。と学ぶことが出来ました。 そこで、家庭や大学で嫌なことがあっても常識を超えた方法で対抗したりしてもいいんだ。思ったようにやればいいんだ。と自分の人生に応用して考えることが出来るようになったと思います。
自分の困難を元に本を書いたりしているのも、ある程度は兵頭さんの考え方がベースになっています。私は、かつて履修登録で嫌な思いをしたのをきっかけに、自分が好きだった「女児本」を取り出してきて、それで表現活動をしました。 普通の人だったら、普通に自分の困難を文章にしたり話したりして主張するだけですよね。しかし、私は嫌なことをふざけた様な面白おかしい方法で対処していいと知っていましたから、「女児本」を参照することが出来たのだと思っています。 勿論この考えが自分の性格と合っているなどの要因があって、兵頭さんだけの影響ではないですけど、私を自由にした手助けをしてくれたと思っています。

2026-10-27    
抜け出せないループ

今日は、朝から停泊用発電機から、補機に動力を切り替える仕事をしました。

まず、空調を運転からファンにして、給湯器やモータの電源を切ります。 電源切り替えをすると全体に電話をします。 そのあと補機をかけます。その際に、エアタンクをあける時はドレンを抜くこと。LOの残量を確認すること。ねじり回転数の時も、回転数を急いで上げ過ぎないことを教わりました。 補機のブレーカーをオンにして、停泊用発電機の負荷を遮断して、補機に負荷を投入します。最後に、停泊用発電機を停止します。その際に、停泊用発電機のブレーカーを落として、 ガバナが緩くなるまで回してから、停止することを教わりました。 そして、消した空調や家電をオンにして終わりです。 ちなみに停泊用発電機の計器は5つです。なので、記録は簡単です。

  • LOの圧力
  • バッテリーの電圧
  • 積算運転時間
  • 周波数
  • FWの温度 その際に、FWの温度とLOの圧力は注視しないといけないそうです。

つぎに、補油の練習をしました。仕事自体は簡単でしたが、油を扱う仕事をほとんどしたことなくて、垂れてしまったり、少しこぼしたりしました。これからは、油を扱う時は、こぼしやすい場所やその予想をしないといけないなと思いました。 最後に、FOサービスポンプで、FO清浄タンクから、FOサービスタンクに揚げる仕事をしました。流量計を記録するのを忘れそうになったので、気を付けたいです。 そのくらいです。

今日は、人生に絶望している理由というか、まだループの中にいるな。と思えることについて書いていきたいと思います。 ループの全容が理解できれば、ループは終わるのですが、まだ理解できていないので、この話は未完成です。 私の人生は、自分の世界の探究と孤立がセットになっているように感じてそれから抜け出す方法が分かりません。 たいていの流れはこうです。

  • 中3-大1年生の5年間誰とも何の時間も共有できない生活を送ったおかげで、自分の世界が自分だけのものになる。
  • 他人と過ごす中でひとなみに自分を理解してほしいと思う。
  • 経験不足で稚拙なので、他人に我慢を強いたり、拒絶をされたりする。
  • 他人の中には気軽に共有する人がいて、自分の中には他人がいないことの不均衡に不満を抱く。
  • 稚拙さをなおす方向性より、自分の世界への解像度が高まる。
    ひとつひとつ具体例を示していきます。

キラっとプリ☆チャンをガチで見てた人にも、Faeriaをやっていた人も、遊戯王ドラフトやってた人も、「事問う杜宇(私が大学1年生の頃ずっと聞いてた音楽アルバムです、また話します)」聞いてた人もいないし、八潮秘宝館(また書きます)に高校生から行ってた人もいないし、 思春期すべてが他人と共有できない独自の勢いを持っていました。高3の夏の時点で私は10年に一度しか出てこないような個性だと思っていましたし、大学1年生の12月には、不世出の天才になったなと確信しました。 なので、自分の世界は自分だけのものだと確信しています。また、他人と何か活動を共有するという事自体が非常に貴重だと考えています。 つぎに、私はおしゃべりなタイプだし、理解されたいという気持ちがひとなみにあります。例えば、寂しい時は関係ない人にLINEを送りたいこともあります。 そして、他人とのかかわりが稚拙です。家族以外の人と長い時間一緒に生活するということが、船を除けば大学4年生の教育実習までありませんでした。経験がなかったのです。 だからかはわかりませんが、相手の一歩先すら予想できないし、自分の深い理解優先で、相手がNGなことも考えることが苦手です。 例えば、せっかく近寄ってきた女の子に本心で「可愛いからもっと一緒にいて」って言ったら嫌な顔されたのに、3回も同じこと言っちゃってブロックされたこともありました。 拒絶をされたり、遠ざけられた場合に、自分の理解してほしい気持ちはどこへ向けたらよいのかと不満を抱きます。 何故ならかんたんに私を拒絶する人のソーシャルとは対照的に、私はやり取りをしている人自体が非常に少なく、その人に特定のことを共有できなくなったら、もう誰にも共有できなくなることが多いからです。 自分の理解してほしいという気持ちは深く自分に落ちていきます。そして、どんどん自分が他人と違う事が分かるのです。 たとえば、大学で拒絶された経験が、音楽アルバムの制作に向かったことがありました。そこで、どんな音楽を作ったのかを知って自分の精神状況を深く知って満足して、稚拙さを直す方向性にはむきませんでした。 すると、そのような深い理解をだれかに共有したいという気持ちになります。例えば、LINEというような場面で、そのような深い話をすると大抵失敗します。無視されるが基本です。 また不満を抱くことになりと延々とループが続くのです。

インドネシアでの大学生活では、相手が私の英語力や留学生という立場の弱さを考慮してかなり配慮して関わってくれたり、違いを認める国民性のおかげで、ループは発動しなかったことは知っています。 しかし、日本では全てが自己責任にされます。私が誰とも何かを共有できなかったのは、どう考えても生来のものだと思っています。それによる経験の違いや安心感の違いがあるのに、幼稚さだけを指摘されると、自分の生まれや個性についても、あまり自信を持てなくなります。 大学でこのループで繰り返しおなじ嫌な気持ちを感じました。このループが無ければ大卒なのにマグロ漁船にのるまでの不満は貯まりませんでした。 マグロ船のなかはインドネシア人が大半だし、共通の大自然に向き合って体を動かすことで、自分が苦手な言葉にこだわらなくても通じ合えます。だから、ループの外から大きな力を与えられると考えたのです。 何で相手の気持ちを考えるより、そんなに自分が傷付く道を選ぶのか疑問に思うかもしれません。 私は、相手の気持ちを考えるということは、無限の労力が必要なうえ自分が保てなくなると考えがちです。 何故なら、自分の気持ちというのは無限に下がるし、無限に恨むし、無限に変わるし、気持ちよりさらにどうしようもない暗黒部分があって、誰にもわからない。と理解しているからです。 だから、そんな高コストのことをするくらいなら、自分が傷付いたとしても、言葉を超えた感覚でやりとりした方が良いと考えてしまうのです。

2026-10-26    
お稲荷様に5万円賽銭

今日は、朝起きて気分良かったのですが、財布がどこにもなく、昨日からなくなっていた事に気付きました。 その後、昨日狐に追っかけられて転んだ場所を探したのですが、自分のものではない別の財布が落ちていました。 そこで、交番に届けました。 きつねにつままれた気分です。 中には、2万円ほどの現金とMOMATのパスポート マルゼンのカード その他個人情報系のマイナ、免許証 キャッシュ・クレジットカード JAFカードなどが入っており、かなり無くなったのが残念です。 予備のクレカと船長に貸してもらったお金で何とかしましたが、頑張ってお金の記録などを取っていたのが馬鹿らしくなってしまいました。 夜は、big boyの姉妹店で奢ってもらいました。 ただ、それだけの一日でした。 明日は、補機の始動をやるそうなので、頑張りたいです。

2026-10-24    
稚内は陸の方が危険

今日は、朝から入港作業でした。 その場合は、主機をかけて、補機を並列運転します。M/EとかS/Bとか書いてあってよくわかりませんでしたが、この理解でオッケーそうです。 補機を始動する練習をしました。その際に、中間始動弁を開けること。給気でエンジンがかかればすぐ給気を止めること。給気系統は終わったら直ぐ閉める事。エンジンの回転数はもっとすぐあげていいこと。を教わりました。 また、ターニングする際に蝶ネジが下向きになっていると棒が当たって折れることがあるので、横向きにしたほうがいいと言われました。 補機をかけたら、最後に警報を停止するレバーを解除しないといけない。と忘れていたのもあり、怒られました。 主機や補器の停止・始動を早く身に着けたいです。 次に、入港作業をやりました。とりあえず、目に入った仕事を書いていきます。

  • 綱をすぐ使えるように穴の近くまで伸ばしておく
  • 鳥よけの紐を外す
  • モンキースパナを使って、クレーンの固定具をはずす
  • 船体にあゆみをかける、その際に毛布で保護する
  • 大きいフェンダーをクレーンに掛ける
  • すのこを出す
  • あゆみの手すりを作る
  • 綱にスナップをかけて、ゴムレットを港に投げる サルカンくらいまで伸ばして投げる。
  • 綱を張ったら巻く
  • 港の黒いゴムに当たるようにフェンダーを下す
  • 綱をかける
  • 自転車を出す
  • ゴミを下してゴミ箱を洗う
  • 天竜人が下りるのを待つ

また、船を港につけたら、すぐ機関場におりて主機と補機を停止して、並列を解除します。 その際に、インジケータコックを開く前にエアランしそうになりました。気を付けたいです。また、エアランをするのは、シリンダ内に残った硫黄分などの残留ガスを吹き飛ばすためだそうです。

その後、落ち着いてきたら停泊用発電機をかけて、徐々に回転数を上げていきます。停泊用発電機は簡単なエンジンなので、共振周波数などはないそうです。 そして、電源を切り替える際には、停泊用発電機のブレーカーをあげて、補機のACBを切る。配電盤の中のブレーカーを付ける。そして、補機を停止させる。この順序でやるそうです。 また、空調室のオンオフもやらないとダメだそうです。入出港作業はやることが多くて覚えることも多いので大変だなと思いました。

キツネはクソ 入出港作業は何回もやれば覚えられそうですが、問題なのは稚内おりてからです。 今日の夜起きたアクシデントの話を先に書きます。観光については後でまとめて書きます。 夕暮れ時にマックを食べて船に帰ろうとする途中、出る時に使った港のゲートが閉まっていて、帰ることが出来ませんでした。 しかも、携帯は観光で充電切れでした。 そこでまず、有刺鉄線のわきにあったホタテが積んであるスペースにすり抜けて行けるような場所は無いかと探りました。 すると、そこはキタキツネの縄張りだったようで、群れで追いかけられました。幸い、かまれたりすることはなかったのですが、かなりはやい速度で襲われて、暗闇の中本気で走ったら転んでしまいました。 次に、有刺鉄線を本気で乗り越えようとしたのですが、服に引っ掛かって無理そうだったので止めました。 万策尽きて、近くのヤマトの集荷場でケータイを充電させてもらいました。そこで士官に電話すると、ゲートが二つあるとのことを教わりました。 船を昼間に出る時に使ったゲートは閉まっていて、知らないもう一つのゲートは開いていたのです。そちらから帰ることが出来てなんとか日記をつけることが出来ています。 船の仕事は洋上の方が危なそうですが、陸上の方が危険だと思います。何故なら私が仕事を始めて最初に怪我をしたのは、停泊地でキタキツネに追いかけられたからです。
怪我をしたし、少し怖い思いもしましたが、別に気分が落ち込むことなどはありませんでした。 なので、自分は人間からのストレスには弱い分、それ以外のストレスには割と強いのかなと思います。

補記今日は、FOのフィルタやストレーナの清掃の見学をしました。 燃料油系統の清掃は、洗い油を2段階に分けて使います。 ストレーナを開ける時はまず、流れる系統を止めるか切り替えることを知りました。 また、掃除の時に出た油はFOドレンタンクに漏斗をつけて流し込むことが分かりました。 そして、燃料油のストレーナは海水のストレーナと比較して、非常に目が細かいということを知りました。 これは、当分任されない仕事だそうですが、すこしFO系統について勉強になったのでよかったです。

2026-10-24    
島が見えると嬉しい

今日は、朝お風呂掃除でしたが稚内入港が近づいてきていたので、清水を使ってお風呂を入れました。 お風呂を入れるのは14:30頃のワッチをする人の仕事だったので、うっかりしていましたが、清水でお風呂を入れる際には掃除してすぐヒーターをオンにしないといけなかったです。 それぞれのルール自体は理解できていても、臨機応変に対応するのが難しいです。 今日のワッチ中は稚内港が近かったので回転数や可変ピッチプロペラのピッチが小刻みに変化しました。そういう場合は、現在の回転数とピッチを書いて、「適宜」と書けばいいと習いました。 また、航走停止したときは、一旦甲板にあがって、港外なのか、港内なのかを確認して○○港内投錨泊と書くと教わりました。ただ、沖で流しておく場合もあります。その判断をしなければならないそうです。 そして、レーザー温度計を一回落としてしまったのですが、それをもう一度壁に掛ける時に紐がよれてしまったようです。気を付けたいです。 停泊中に、サービス海水ポンプを止めて、空調機の部品交換をして防蝕亜鉛を入れる仕事をするから、サービス海水ポンプとその系統を確認しておけと言われました。 その間に、床プレートにフタがついている部分について新たな発見をしました。いままでは、バルブについたぼろぼろのプレートを睨んでそのバルブの判断をしていたのですが、フタをひっくり返すとシールで名前が貼ってありました。 これで、もう少し悩まずにバルブをひねることが出来そうです。

今日は午前中、利尻富士と礼文島、北海道がはっきり見えました。利尻島は町があるようで、北海道は風力発電の風車が沢山見えました。太陽に照らされて光輝く海に、そびえる島。打ち付ける塩水。結構テンションが上がりました。 稚内港外につくと、インターネットが繋がったのですが、誰からも連絡来てないし、SNSは否定とイヤミと決めつけばかりだし。嫌な気持ちにしかなりませんでした。利尻富士を海上で見た時の方が断然楽しい気持ちになりました。 NMIXXの新作MVくらいしか、見る価値ないです。

今日、朝油断して眼鏡を監視室に持っていくのを忘れました。すると、30分ほどで少し不調が出てしまいました。というのも、蛍光灯の光が強い環境で裸眼でいると、昔から具合が悪くなりがちなんです。 たとえば、ユニクロやGUのように白い床と、強い光の組合せの店でも疲れがかなり出ます。とくに夜間が最悪です。だから、人と一緒にいながら蛍光灯の光が目に入る今日の仕事も疲れがたまりました。 その後、「眠いのか」と指摘されて、眼鏡を取りに行くチャンスがあって、装着したところ少し楽になりました。というのも、私の眼鏡はレンズで高価なものを使っていて、ブルーライトカットするうえに、非球面レンズなので、かなり自分の目の調子を楽にしてくれるんです。 今日の経験で改めて、自分の目の調子のことと、補助具によって何とか頑張れているということを気に掛けることになりました。

少し楽に生きられるようになった今でも、あまり自分の目を好きになれません。というのも、過去にリストカットはしたくなったことがないんですけれど、目に刃物を突き付けたくなったことは何度もあります。 何故なら、私の大抵の不調は目の見え方による問題と併せてくるからです。たとえば、目に不調が出て周りについて行けなくなる。そして、他人についていけないことで、気持ちが下がる。気持ちが下がることで、目に不調が出る。という負のサイクルが ループし始めると、気分が最悪になっていって、最終的には目で物を見たくない。というところまでいったことがありました。 自分の目について何がそこまで嫌かというと、物事がくっきり見えるのも好きではないですが、無意識にあれもこれもと同時に見てしまい、疲れてしまうことがとくに嫌いです。 今日の蛍光灯と人を同時に見て疲れてしまったのもそのパターンでした。眼鏡を取りに行けたからよいものの、これが続いていたら、かなり落ち込んでいたかも。と思いを巡らせると、自分の目についての嫌な気持ちを思い起こしました。

逆に、自分の目に親しみやすいものを考えてみます。探すとたいてい、同時に情報が色々入ってこないものです。 たとえば、ひらけた空や大海原、正円や直線を組み合わせたシンプルなデザイン、大きな文字のスマホなどです。 しかし、世の中は私の特性に厳しいです。というのも、大きな文字でスマホを使っていると「老人みたい」と笑いものにされるし、丁寧に情報を減らしてレイアウトされた専門書なんて全くないし、日本はオフィスワークがほとんどです。 なので、その親しみやすいものに触れるのも普通の環境だと世間様に逆行するようでエネルギーをつかってしまいます。だから、良い面が発揮できず、疲れるなど悪い面が際立ってしまっているのです。 このように考えると、自分の困難は社会の側にもバリアがあると考えることが出来ます。障害科学の社会モデル的な考え方です。 一応そういう考えで、環境調整を考えて過ごしてはいるんです。自然の中で働く船乗りになったのもその一環です。

2026-10-23    
安井様式

今日は朝、全体掃除がありました。 また、それに気付かずに部屋の前にサンダルをそのままにしてしまいました。 前日にタオルが置かれたりするので、それで気付かないといけなかったみたいです。 錨泊を除いて4日目、またその4日後に掃除をするサイクルが多いらしいです。 また、甲板に出る時は、網戸を開けたままにします。何故なら、外に人がいるかどうかを網戸の開閉で判断しているからです。 今日は、既に人がいる時に、甲板に出て、戻るときに戸を閉めるのを忘れてしまいました。 そこで、機関長の目に留まり、怒られました。 この前の、マイナスドライバーを渡されて、机の上に戻したら、ちゃんとなおせと怒られたのと同じです。 やっぱり、人が用意したものを、片づける時は自分がやるという行動は中々染みつきません。 ただ、このような行動を染みつけることが出来れば、人と一緒に暮らす時や自分の部屋でも、もう少し過ごしやすくできそうです。 なので、ゆっくりでも慣れていきたいです。

今日は、エンジンの潤滑油を差すときに、足りなくなったらつぎ足すためのバルブがある事を知りました。 また、FO系統を少し見て、補機と停泊用発電機に向かう系統はかんたんにわかりました。 ただ、主機の系統ではエンジンにどのようにFOが入っていくのかよくわからないので、どっちが出口か、入口なのかわかりませんでした。 今度絵でもかいて、一つ一つ聞いていきたいです。

昨日はFO系統の切り替えの記載をミスしてしまっていたようです。今日は、正しく記載できてよかったです。 昨日は、結構気持ちが落ち込みましたが、予想通り今日は楽に過ごすことが出来ました。自分のメンタルや体調について深く知って、見通しを持って行動できるようになりたいです。

美術の話をもっとしろと愛読者から連絡がきたのですが、私はこのブログのテーマを「リアル」と決めています。 画集の画像や、一つの美術館所蔵の絵だけのブログは書きたくないんです。 というより、実際にいくつもの施設に足を運んで見た絵について書きたいのです。 だから、今日は代表作をしっかり見ている安井曾太郎について書こうと思います。 特別好きなわけではないのですが、美術館で出会えることが多く、縁がある作家です。 1929年頃「安井様式」という独特なスタイルを肖像画にて確立して人気を集めました。 まず、私が見た「安井様式」の代表作は4つです。それらを紹介します。 ただ、安井作品のタイトルは「座像」、「婦人座像」などシンプルなものばかりで、私も覚えていません。 そのため、割愛させていただきました。
緑の和服 ①大学4年生の1月にアーティゾン美術館石橋財団コレクション選で見たものです。同美術館のモネ展にも行ったのですが、比較して10分の1以下の来客だった覚えがあります。 玉虫先生 ②同じくです。この絵は縮小バージョンで同じ対象を描いた大型作品もあるそうです。 紫の和服 ③近海船前の4月に国立京都近代美術館のコレクション展で見たものです。
金蓉 ④近海船前の5月に国立東京近代美術館のコレクション展で見たものです。
紹介する絵画の選定基準について説明します。 アーティゾン美術館の展示では2作品以外にも肖像画がありましたが、優れていたのはこの2作品でした。 国立京都近代美術館には、③だけでなく、もう1枚肖像画がありましたが「安井様式」と言える年代の作品ではありませんでした。 ④の作品はこの美術館が初めて購入した作品と歴史年表に書いてあり有名作品なのですが、 「安井様式」の良さがあまり出ているとは思えない作品です。隣にあった藤田嗣治の絵の方がよかったです。 藤田嗣治の絵 なので、今回は④の作品については、紹介しません。

安井様式の絵の第一印象は、色遣いに爽快感があって、絵全体に上品さがあってステキ。でした。 しかし、近くで見た時の印象は、気持ち悪い。です。 肖像画なのに芋虫を組み合わせて出来ているかのような、躍動感があるのです。 ③の絵のアップを見ていくとよく分かります。 服アップ グレーズをしているのではなく、大胆な筆致で絵具を乗せていき、一つの服という 連続した面でもその勢いを殺すことなく、色ごとに継ぎはぎで書いています。 だから、写実のようでそうではない、独特の生命感が絵に宿っています。 ②の作品も、顔や服に太めの筆の勢いを残したまま全体としてみると老父になっていいます。 しかし、全体としてみるとそれらが集まって、人の形になっています。 この二つの作品からわかるように、独立した筆の流れを継ぎはぎのように重ねて一つの形にするのが「安井様式」の特徴です。 私は、この特徴からうまれる生命感がちょっとエグく感じるので、そこまで好きになれないです。 次に、①の作品を見てみましょう。 顔アップ この絵は顔の表現がキモです。鼻の左側や下は影を面で表現しています。 それに対し、鼻の右側の影やあごのラインは輪郭線で大胆に描いています。 一つの絵の中で、面と線、影の描き方をミックスさせて書いています。 そのため、先の筆遣いの特徴と同様に単なる写実を超えた面白さを感じました。 当初感じた気持ち悪さは、この独特な描き方によるものだろうと思っています。    まとめると、「安井様式」は単に写実、単に陰影を面で描いていくということだけではなく、複数の視点を組み合わせたり、輪郭線を描くなど平面的な要素が多分に入っています。 しかし、全体としてみると対象を丁寧に描くことが出来ているのです。そのため、高度なバランス感覚で成り立っている絵画だとわかります。
紹介したように「安井様式」には視点の継ぎはぎや、影を線で描く。という要素が見られます。そこで、言及しなければならない作家がいます。 この要素を持つ同時代の作家を思い浮かべてみてください。それは、ずばり19世紀終わりごろに活躍したセザンヌです。 セザンヌはフランスの画家で、立体を平面的に書いたり、輪郭線を使って影を書いたことで知られています。 画風について安井曾太郎の絵とかなり共通点があります。 セザンヌの花 この絵はセザンヌが20世紀初頭に書いた絵になります。 ちなみに、この絵は近代美術の中でもトップクラスに好きな作品です。花・花瓶・机が背景と一体化した奥行きの無い描写が為されています。 それは置いておいて、安井はフランス留学経験があり、セザンヌを研究し26歳の頃には、セザンヌの有名絵画
「bather」そのままのかなり大きな絵も描いていたようです。 水浴この絵も奥行き無いですよね。そのため、「安井様式」とセザンヌ絵画は要素を共有しているだけではなく、 セザンヌから直接的に学ぼうという気持ちが安井にあったようです。

私は好きでもない作家から影響を受けることはないのですが、美術への取り組み方については学ぶことが多いです。安井曾太郎の絵も同じです。 というのも、絵の変遷や画風について考えると、その重みが伝わってくるのです。 まず、若かりし頃の安井の絵は間違いなくセザンヌに傾倒した絵でした。 次に、セザンヌの要素をベースにしながらも、その後も絵を書き続けて爽快感のある色彩、独特の太い筆致、和装のモデルなど新しい要素を 積み上げて独自のバランス感覚で「安井様式」を確立しました。私もその独創性は理解できました。 しかし、それはすぐに作り出せたものではなかったのです。 というのも、①の絵画が「安井様式」のはじまりとされていますが、紹介した留学時のもろセザンヌ絵画から数えると15年後に発表されたものです。 私が高度なバランス感覚で成り立っていると感じた通り、「安井様式」は長い修業期間を経てはじめて到達した境地だったのです。 その期間について考えると、絵を書き続けていてもそれだけかかるのかと、気が遠くなりました。 何故なら、私は15年というスパンで物事を考えたことが無いからです。しかし、こうやって絵が残っているなら15年の努力なんて屁でもないなとも同時に思います。 その重みを受け止めながら、私も真の独創性にたどり着くには毎日、地道に積み重ねていくしかないなと思いました。

2026-10-22    
心の波も激しい

昨晩21時ごろから北の海は時化が激しかったです。 朝4時ごろには、部屋の本棚が倒れ、部屋に置いてあった横向きのトランクケースは部屋中に動き回りました。 隣の部屋で何かが倒れる音がして、悲鳴もあがりました。 今日は朝ごはんの後、昨晩書いた配管図をファーストに見せに行きました。細かい部分で間違っている部分もあったようですが、大方合っていたようです。 早く覚えて、一人で見れるようになりたいです。 今日の揺れの状態では、FO系統を見るのは危ないと思い、補機の始動方法の復習をしました。

  • エアタンクのバルブを開ける
  • ハンドルを30往復して、プライミングする
  • 潤滑油圧力のゲージをチェックする
  • はずみ車をターニングする
  • エアのバルブを開けて、エアを送り込んで始動させる
  • ガバナ調節ハンドルを回して、1000回転程度まで上げたら、海水圧力を確認する
  • エンジンがあったまってきたら、少しずつ回転数を上げる。
  • 1500から1800回転までは一気に上げる
  • 調節ハンドルを押し込んで遠隔操作に切り替える
  • 給気系統を閉める

セルモーターというのが何か教わりました。車のカギを回してエンジン始動するのと一緒です。バッテリーからの電力を動力源とした始動のための動力モーターです。 この船の補機はセルモーターで始動するのではなく、給気の力で始動します。だから、特注でセルモーターがついていないのです。 逆に、停泊用発電機にはセルモーターとバッテリーがついています。

今日は自分でお風呂を入れました。お風呂を入れる時に、ドアを開けないで終わらせたので、最初に入るとき湯気がこもっていました。 次入れる時は、ドアを開けて終わらせたいと思います。

次に、LO清浄機に送る燃料油を清浄油タンクから、船底にあるNO.3タンクに切り替える仕事をしました。昨日はポート(右舷)側のNO.3タンクに切り替えていたので、同じように仕事をしたら、 「同じ方ばかりを使っていたら、船のバランスが悪くなる。」と言われて、今日はスターポート(左舷)側のNO.3タンクに切り替えました。 毎日左右のタンクを交互に使っているそうです。今度からは機関日誌をみて前回補給したタンクをチェックしてから、油切り替え作業をしたいです。 そして、機関日誌に切り替えた旨を記録するのと、机の上の透明なマットの中にある「LO清浄機の切り替え中」という紙を表にする仕事を忘れていました。そこまでやって初めて、切り替え完了です。

補機主機の始動起動、清浄機へ送る油の切り替え、お風呂を入れる、その撤収。これらが一人でも出来るようになれば、一人でワッチを見れるようになるそうです。 どれも60パーセントくらいは、分かるようになってきました。なので、毎日怒られる生活もあと少しの辛抱だと思っています。

最後に、警報機の電球交換の仕事をしました。オレンジ色のマイナスドライバーでライトのカバーを外してゴム製のスポイトで豆電球を外して、その豆電球に記載されている電圧やワット数を確認します。 それを参照して、戸棚の中から同じ豆電球を見つけます。交換したら、消耗品と書いてあるノートにその旨を記載します。

日々、「使ったものはなおせ」と言われ続けています。自分が出したものはなおすようにしてるんですけど、他の人が渡してきたものをなおすという習慣がありませんでした。 今日で言えば、機関長から受け取ったマイナスドライバーやスポイトです。今度からそれも場所を聞いてなおすようにしていきたいです。

今日は大した仕事はしなかったんですけど、気分が落ち込みました。マグロ船の時も操業がはじまってから、15日ほどでたったとき1日かなり気分が落ち込みました。 前の日と変わらない仕事なのに、船上で号泣してしまったことがあります。今日もそんな気分でした。 どの様な状態になるかというと、今までで周りについて行けなかった時のことを沢山思いだしてしまいます。 また、誰とも話したくない気分になったり、気分が落ち込みます。昨日と一昨日が平均より高い楽しい気分だったので、マズいな。と思ったら今日しっぺ返しを喰らいました。 昔は、気分が毎日低調だったので本気で働けないと思っていました。それと比べると今の状態は凄い進歩ですが、そんなことは誰も分かってくれないし、先へ進みたいという気持ちも近海船に乗ってから出てきたので、 なんとかメンタルの浮き沈みを予想した対策を練って仕事を続けていきたいです。マグロ船の時も次の日次の次の日は大丈夫だったので、明日はきっと大丈夫だと思ってやっていくしかありません。 今日も、色々な嫌なことを思い出している途中で、近海船で見た思い出や漁業への憧憬について考えたら、幾分か昏い気持ちが晴れました。既にあの体験は自分にとってかけがえのないものになっています。

メンタルの不調に悩まされることが多く、自分の潜在意識や心の闇には嫌な思いばかりさせられています。しかし、いくつか感謝しなければならないことがあります。 その一つを紹介します。私は相手の要求が無茶ぶりや形だけのものなのか、実を伴った妥当な要求なのかが、思考を介さずに解することが出来ます。それは自分の心の闇のお陰だと思っています。 それを代表するエピソードを二つ紹介します。大学2年生の終わりに教育実習に行く学生が皆受講する事前指導という授業がありました。そこで、数学科目で教職を取る学生だけが受ける授業の場面です。 筑波大学附属坂戸高校から来た先生が、学生に10分間の授業の指導案を17時までに提出することを求め、次の日に発表させると言いいました。私は当時指導案作ったことがなかったので、面倒だなと思いました。 他の学生は直ぐに作成に取り掛かっていました。しかし、私は課題をやらなければという気持ちがわかず、まず家に帰って睡眠をしました。何故かというと、その課題がやりたくないものであった上に、全く緊張感を伴わないものであったからです。 振り返って考えてみると、事前指導というのは出席が重要な単位であり、受講済みか否かの2段階評価です。そこで、一つの科目だけで出された課題が成績評価につながるはずもありません。 また、現役の高校の先生が大学生のハナクソみたいな指導案の添削をする余裕があるとも思えませんでした。これは後付けの理論的な思考ですが、授業を受けた当時は、 課題の出し方や教員の態度からこの課題にはリソースを割く必要がない。と無意識で思ったのです。 実際に私が指導案を提出したのは発表のちょっと前、そのうえクソみたいな授業、振り返りシートも課題で出されていましたが、提出しませんでした。それでも、事前指導は受講済みというハンコが押されていました。 つまり、その先生の設定した課題は形だけだったのです。だから、心の闇の判断のお陰で、他の人がストレスがかかっていた部分を気楽に過ごすことが出来たのです。

次のエピソードは逆の状況です。インドネシア留学中の11月ごろ大学の勉強をなおざりにしていた時期がありました。 しかし、大学で歩いていても楽しくないという気持ちに突如なりました。遊びや他のことをやめて考えてみると、大学での中間課題がたくさん出されていたのです。 考えないようしていたのですが、英語のビデオを作らないといけないものや、他の学生とやりとりして作品を作るなど、作成したことないものを作らないといけなかったのです。 心の闇が感じた緊張感に従い、課題を一つ一つ作成しました。考えてみると、いくら面倒くさくても大学の中間課題は実の伴ったものでしたからね。 つまり、心の闇が感じた緊張感によって単位を落とす危険を避けることが出来たのです。

この二つのエピソードから無意識の部分が繊細になっていることで、ストレスや危機への感性も鋭くなって逆に楽できている部分もあると言えると思います。 たとえば、一つの目エピソードは言葉通りの受容で感じるはずだったストレスを避け、二つ目のエピソードでは中間課題の提出に失敗し、期末まで授業を受けれないという危機を避けれています。 だから、心の闇は悪い面ばかりだけではなく、日常生活に良い面も本当に少しだけあるのです。 私が心の闇と呼んでいる部分は、理性的な思考ではなく、もっと危機回避などに繋がる原始的な部分の脳の領域なんだろうなと思います。 他の人よりメンタルが沈みがちになるのは、心が壊れるほど嫌な経験をしたことで、同じような場面に遭遇しないようにしているのだろうと思います。 嫌な記憶を思い出して気持ちが沈むのもその一環だろうと思います。

私はほかの人には無い、繊細さがあるのだろうと思います。しかし、それを良い方向に使うのは非常に骨が折れます。 私が美術に傾倒するのは、それを活かせるからだろうと思います。また、漁船で働こうと思った理由も大自然とのバトルのなかでは活かせると思ったからです。 現代社会では、繊細さを発揮させると辛い事の方が多いです。今の職場は洋上ではあるものの、繊細さを発揮させ過ぎるといやになるので、意識して気持ちを前に向かせています。

2026-10-21    
北の海は厳しい

今日の朝はご飯まで仕事はありませんでした。 しかし、寒すぎてあまり朝の時間を楽しめませんでした。 下の階の部屋は、喫水線より下なので海水温が下がるとその分気温が下がります。 昨日の海水温は16度だったので、10月にして室温が関東の冬場くらいの気温になりました。

今日学んだことについて、復習します。 船尾管のアースは船体とプロペラ軸との摩擦で起きる電食を回避するために設置されているそうです。 スラッジタンクというのは何かと教わりました。船外排出のビルジウェルとは異なり、油を流したりするのに使うそうです。 洗面台はビルジウェルにつなっがっているので、油を流したりするとダメなことを知りました。 ゲージを見てたまってきたら、陸揚げしているそうです。 FOポンプからはFO弁に繋がっている。 機械は様々なメーカーのものを組み合わせて使用している。 ポンプもポンプと駆動部のモーターの会社は違う。 減速機もクラッチと減速機本体の会社が違う。 エンジンと発電機も会社が違う。 だから、一つの機械だからと言って、説明書を読めば全部わかるとは限らない。

床を開けて系統について復習しました。 海水系統に関してはだいたいわかりました。 LO系統も主機に関してはだいたいわかりました。 補機のLO系統はよくわかりません。 補機の清水系統はカロリーファイヤを含めるとよくわかりません。 明日以降それと、燃料油系統についても復習したいです。

機関長からはLOストレーナについて、教わりました。日誌の記録の際にもLOストレーナの吸い込み圧力と送り出し圧力を見ないといけません。 LOストレーナについてまとめると次の通りです。

  • LOストレーナの動力源は、通過するLOの圧力
  • LOの吸い込み圧と送り出し圧の差が大きくなると警報が鳴る
  • 主機予備LOポンプを始動すると、警報が鳴る。それは、瞬間的に吸い込み圧が送り出し圧より高くなるから
  • 主機運転時に警報が鳴れば、ストレーナの詰まりが予想される
  • 低速であるが回転している

今日も集団生活について指導されました。0-4時でワッチに入った人が、お風呂の温海水を止める。 その際、0時終わりのワッチの人が全員お風呂に入ったのを確認してから止める。 乾燥機のフィルタは叩く。ほこりや糸くずはビルジポンプを詰まらすから、流してはいけない。

また、五感を使う事も指導されました。 いつもと違う音が鳴っていたら何かあると思うことが大事。 パイプも触ってみて熱さを確かめる。海水出口が熱い時は、中で詰まってることがある。常に意識を配る。 ポンプを起動したり系統を切り替えた時は、ゲージを確認する。圧力が上がっているように見えても急に下がることがあるから、直ぐにその場を離れない。

そして、系統の理解を反映した触り方をすることも指導されました。 流体が流れる順番を意識して、その通りにバルブを開ける。原状復帰をする際には、真逆の行程を意識する。そうすると、事故なく系統の変更ができる。

最後に、機関場ワッチの責任についても。 機関場ワッチは一人。3人で行う甲板のワッチとは異なり、責任が重い。 生兵法ではなく、絶対こうだ。という知識を持って対応することが大切。

こんな感じのことを指導されています。

今日はファーストにスルーされてるのと、セカンドにクチャラーやめろ。と言われ機関長に怒られて気分が下がりましたが、音楽を聴くのが楽しかったのでそれについて書こうと思います。 音楽は、いつも、音楽プレイヤーで聞いています。他に同じものを使っている人を見たことがありませんが、AGPTEKという中国の会社の音楽プレイヤーを使っています。 AGPTEKの数千円のプレイヤー microSDを入れる場所があって手ごろな価格で手に入るものです。液晶がついていてイヤホンジャックがあります。 パソコンで一度音楽をダウンロードして、それをUSB-cケーブルを使ってコピーしています。 多くの人は携帯でspotifyなどのストリーミングを利用して音楽を聞いていますがそれに比べていくつかの利点があるのと慣れているのでよく使っています。

  • 通知音によって音楽がスポイルすることがない。
  • ネット接続できないので、ネットサーフィンの誘惑なく音楽を聴くことに集中できる。
  • 充電がほとんどいらない。近海船の1か月航海でも1回しか充電しなくてよかった。
  • ストリーミングにはない音楽も取り込める。

私はこういう形の音楽プレイヤーを父にプレゼントされたことをきっかけに、中学1年生の頃から使っています。機械が壊れる(イヤホンジャックがダメになる)度に、データごと新しい機械に乗り換えるのです。 そのため、今でも中学生の頃聞いていた音楽のファイルを聴くことが出来ます。 今日は、その音楽ファイルを漁ってみました。私は、ゲームから音楽に入り、気に入ったものを片っ端から保存していたので、玉石混交のファイルになっています。 殆どのものは今改めて聞く価値がない曲ばかりです。 そのなかで、気に入ったものを紹介します。
Marshmello-Alone
多分この曲はクラロワというゲームをやっていた時に見つけた曲です。matatabiという人がキングタワー落とし(今はロケットのタワーダメージが下がり過ぎて弱いです。)という戦術のモンタージュ動画を作っていました。 そこで、リミックスが流れていたので知ったのでしょう。その曲も落としてありました。 リミックス元も聞いてみたのが中学生ながらに偉いですね。 中学生の時は、他のNCS ReleaseのようなEDM曲と同じように聞いていたのでしょうが、この曲は今聞いてもいいですね。 まず、ドロップが満点です。シュアという音のスネアと、ベースもいいし、リードもいいし、全体のバランスもいいです。 さらに、ハイハットが増える展開もいいです。全体を通じて使われるボイスチョップやゲートも印象的でいいと思います。 この曲を聴きながら、どこかも分からない海の上を揺れながら移動しているという現状に満足して楽しい気持ちになりました。そのせいで口空いてクチャラーになってたら嫌ですね。

近海マグロ船の時は、東方紅魔郷6面ボス亡き王女の為のセプテットや鳥羽一郎の演歌など古風でワイルドなエネルギーに溢れた曲が染みましたが、今の船ではEDMがいいのかもしれないですね。

2026-10-20