今日は朝から風呂掃除をしましたが掃除中に3回も見に来られて、「ちゃんとやってっか?」って言われました。終わったら温海水のバルブからこぼれる水を受けておくこと。錆取りを海水がこぼれるところに使うことなどを指導されました。 やり直しながらやっていたら、45分もかかりました。 朝ごはんの時は、「サンダル!」と隣の部屋の人に怒られて意味が分かりませんでしたが、全体掃除の日は、朝飯の前にドアにサンダルを立てかけて廊下に掃除器をかけやすくしないといけないようでした。 また、今日が全体掃除の日だと知りませんでしたが、サロンのホワイトボードに書かれていました。少しずつ慣れていきたいです。
その後「風呂掃除をやるからには、しっかりやる。機械の保守も一緒だから。総合的にものを教えてんだ。」と激励されました。 しごかれているような気がしなくもないですが、近海船で15時間労働後にインドネシア人に言われた「シゴト、フネ、サイコウカ?」と聞かれ「サイコー!!」と答えないといけなかったことに比べれば余裕です。
今日は補機についている清水と海水の系統を見ました。冷却海水は、簡単で機付きのポンプでくみ上げられて、外に行くだけです。一応機械へ入る海水が2口になっていて、雑用水ポンプや主機冷却海水ポンプとつながっています。
消火栓にもつながっているように図では見えましたが、向きが違いました。
エンジンのトリセツを見て、一つ一つ何が何かを見ていくのが大変でした。LOクーラーに関しては、外から見えません。膨張タンクもあるらしいのですが、見えませんでした。
煙突の中に清水タンクが2個あるのを見せてもらいました。また、普段手洗いなどに行っている清水は系統が別で、ポンプも見えにくいところにありました。
メインの清水ポンプは、配電盤を開かないと操作できないようになっていました。
今日は、機付きのポンプとそうでないポンプの違いが少しわかりました。 主機をかける時には減速機予備LOポンプと、主機予備LOポンプを回します。 基本的にLOは主機の動力で回る機付きのポンプで送ります。 なので、エンジンが止まっている場合には機付きのポンプは働きません。 だから、予備LOポンプを回してターニングをすることで潤滑油を行き渡らせて、始動した後は予備LOポンプを消すことが出来るのです。
補機には、予備LOポンプがありません。それは何故かというと、プライミングする際に、手動でLOを送るからです。 この動作が補機にとってのLOポンプなのです。
その後機関長から「今なっている音何かわかるか?」と言われ、「ポンプの音ですかね?」といったら、「探してこい。」と言われて、行ったんですけど全然主機がうるさくて分かりませんでした。 そしたら、主機がある方向とは反対側にちっこいポンプがあって、それは機関室船首ビルジ排水ポンプでした。自動で働き、ゴムの歯車で動いていることを教わりました。壊れたら、中の金属だけが空回りするようになるから交換すると言っていました。 機関場や空調の水・逆流海水を海に流すことが出来るポンプです。 また、冬場は暖気をしないといけない理由を教わりました。効率が下がるだけではなく、カバーやシリンダに亀裂が入る可能性があるからだそうです。 冬場のドッグは海水系統から水抜きをしないといけないことも教わりました。
あと、船用語について、前進がゴヘエ、後進がアスタだそうです。出刃じゃない、ロープ切る刃物はマキリ。Pがポート、右舷のこと面舵。Sがスターポート、左舷のこと取舵。汚れ仕事で使う布のウエスは雑巾とは違って再利用しない。 マグロ船で言ってた、手伝う、物をあげる。という意味の「サービス」って言うのは宮城漁船界隈の方言だそうです。
今日の夜明け前一応忍路海山(おしゃろかいざん)についたようです。周りは何もありません。ウラジオストクも見えません。海水お風呂も入ったので、堪能しましたよ。 日本の排他的経済水域の端という秘境で、デジタルデトックスを楽しんでいます。 近くに北朝鮮のミサイルが落ちたことだけが不安です。 大体今日の内容はこんな感じです。
今日は、昔「生きてて恥ずかしくないの?」とMMさんに言われたことを思い出し、何故自分はマグロ船でインドネシア人と肩を並べて、魚の内臓を掃除してもなんとも思わなかったり、プライドがないのか。ということについて考え直してみました。
昔は、テストの点数が低くて恥ずかしかった
中学1年生の時のある記憶がかなり長い間残っています。定期テストが返却されて、はじめ見た点数は86点でした。しかし、それは前の席のクラスメイトのもので、交換された自分の解答用紙の点数はもっと低かったのです。
そのときの記憶がこびりつくくらいには、色々恥ずかしさがあったり、周りが気になっていました。
また、今でも、活動動機を他人に頼ったり、詐欺や略取などのことは恥ずかしいです。恥ずかしいような生き方は出来るだけ避けています。
プリ☆チャン筐体プレイより恥ずかしいことはない
中学3年生ごろ、(プリ☆チャンそのものについては、また記事にします。)キラッとプリ☆チャンの筐体をゲームセンターでプレイするようになりました。カードゲームとリズムゲームを組み合わせたゲームでしたが、ピンクのデコデコした筐体で、
宝石のようなボタンが二つだけで、所謂女子小学生がプレイするようなゲームでした。なので、私がプレイするには、男っぽく育てられてたし、中学生だったしで、相当葛藤がありました。何週間も筐体を遠くから覗く生活をしていたこともありました。
しかし、本当にプリ☆チャンはプレイしたかったので、その葛藤を乗り越えてゲーセンで一歩踏み出してプレイしました。
50を超えてから性転換し、本当の人生を歩み始めたみたいなドキュメンタリーを見たことがあります。見た目がまだキレイなうちに、そういうことはしておこうと思ったりしていました。
すると、そのゲームがとても楽しくて心の支えというか、分かってくれる存在としてあり続けました。
なので、恥ずかしくても本当にしたいことだったら、やった方がいいなと思いました。
恥を捨てて質問しまくったら受験に合格した。
私は、高校3年生の頃家計急変で学費が免除になりました。そこで、私は「これで勉強しなかったら恥ずかしいな。」という気持ちと、「親にお金を出させてまで塾には行きたくないな。」と思いました。
そこで、私は同じクラスの生徒に授業で分からないなと思うところを全部聞きました。たとえば、当時全く勉強していなかったので、Come came comeという活用を知らなくて、「haveのあと、なんでこれはcameにならないのか。」
という中学生レベルの質問もしていました。数学についても基本定理から質問しました。三角関数の加法定理について高3で質問していました。
ただ、意外にもそれらの質問を拒む人は殆どいませんでした。加法定理については証明や覚え方まで、教えてくれるひとがいました。
そんな勉強法で勉強を続けて行ったら、国立大学である筑波大学に合格。成果がありました。恥を捨てた質問力のお陰で塾代を浮かせることが出来たのです。
振り返ると、同級生に出来ない答案を見せて直してもらう。というのは、勉強できないのを恥ずかしいと思っていた中学1年生の私には到底できなかったことであろう。と思います。
しかし、高3になるともっと恥ずかしい事:「奨学金をもらって不勉強で受験失敗」ことから逃れるために、小さい恥:「同級生に劣っている部分を正直に見せる」に目をつむることが出来ました。
だから、恥を捨てることが出来るようになったのです。
後から聞いた話ですが質問の回答者たちは「あいつ、ヤバイ!」とは思っていたみたいです。しかし、塾や家庭での勉強で疲れた頭をほぐす役割に逆になっていたそうです。 そこで、自分が相手より劣っていることも、やりとりのなかでプラスに転じることを知る成功体験になりました。
この二つの経験で、人と違う事でも、本当にやりたかったらやった方がいいこと、恥を捨てて聞くと結果的に得がかなり大きいということを知りました。
なので、インドネシア人に頭を下げて仕事を教わっても何にもプライドなんて傷つきませんでしたし、内臓や血のりの掃除なんて、やりたかった仕事の一環なんで
自らプリ☆チャンの筐体プレイに乗り出した時に比べれば恥ずかしさなんてありませんでした。
最後に、極論ですが人生で成し遂げないといけないようなことは、「恥ずかしいから」という理由でやめさせてくれるものなんて一個もないんですよ。
というのも、「恥ずかしい」という気持ちは人の都合です。自分の少々の気持ちの都合では宿命から逃れることはできません。もしそんなことをしたら、神罰が下ります。
「これをやらないと恥ずかしい生き方になる」ということで、やらないといけないことは沢山あるんですよ。そんな人生が時折悲しくなります。
今日は朝から小樽港近くで虹が出ていました。 サンジ君は、「虹が出ると荒れんだ。」と教えてくれました。 陸ではみんな喜びますが、海での虹は凶兆だそうです。 朝食後主機の起動を任されました。 結果はだいたいの流れが間違っていなかったという評で、成功でした。 ただ、最後のインジケータコックを閉め忘れたこと。もし、閉め忘れてたら、起動したとき音がなるから気付くこと。 コックは、軽くでいいけど最後まで閉めること。指摘されました。 ターニングする際に、はずみ車の上の方の歯に噛ませないと固いということも教わりました。 その後揚錨を始めるころになると海が荒れ模様となり、小樽の波止場に、5mくらいの波が打ち付けていたのが見えました。 仕事を終えワッチを始めると揺れが強くなり、8度程度の傾きが5秒くらいの波長で来るようになりました。 ワッチ中に座る椅子が大きく動き始めたほどです。最初は元気だったのですが、1時間もたつと具合が悪くなってきました。
しかし、今日のワッチ中の課題は主機冷却海水ポンプの系統を知る事でした。 大きな揺れの中、下を向いて機関場の床板をマイナスドライバーでひっくり返していくことで、床下を通る配管を一つずつ辿りました。 主機冷却海水ポンプとそれにつながる取水の船底のバルブは見つけました。 しかし、3分岐している場所があり、混乱してしまいました。外の空気を吸ってから再トライ。
主機インタークーラーと、LO・清水の冷却器に繋がる系統から分岐した。
減速機の冷却器に繋がる系統
中間軸受の系統
船尾管の系統
3つを何とかたどることに成功しました。バルブについては、床に丸い穴が開いてる部分なので、それを手掛かりに床をひっくり返すと理解しやすかったです。
渡されている配管図が結構分かりやすく、実際の配管もわりと最短距離を通っているので、分かってしまえばそこまで苦労はしなさそうですが、最初がかなり辛かったですね。
明日もう一度復習しないといけないですね。
午後は、船酔いでダウンしていましたが、2時ごろから元気を出して機関場を見て回りました。 一応NO.1主機清水ポンプの系統について調べました。 主機清水ポンプの系統は、排水口はありません。機械の中を通るからです。 機関場の天井の上に、膨張タンクというのがあり、そこから補給されています。 主機清水ポンプから来た水は、そこそこ長い経路を通り、主機の下側から機械の中を通って上の方に抜けます。リービッヒ冷却管と同じように冷却水は下から上に送るのです。 そこで、またポンプに送られます。そこまで難しくはない輪っかの経路になっています。
補機の冷却清水の系統も見ました。補機の冷却水の系統は、カロリーファイヤ、ポンプ、機械内部を循環しています。補機の冷却水を温める系統は冬場に使うそうですが、基本的に輪っかの系統です。 ただ、よくわからなかったので、もう一度見たいです。
最後にお風呂の沸かし方をもう一度やりました。
- まず、海水のバルブを半回転させる。お風呂を見に行って、汚れた水を受ける。
- そして、カロリーファイヤバルブとポンプに繋がるバルブを開けて、もう一度お風呂に行って冷海水の蛇口も開いて、汚れた水を受ける。
- 温度がいい感じであれば、それを貯める。
- ヒータについてる温度計を見て、46度になるようにバルブを繊細に調整する。
今日は仕事もあったし、新しいことも多いし、揺れるしで大変でしたが、近海船に比べればハナクソみたいなものです。 なので、小噺も書いてしまいたいです。
私が、大学4年生の頃に廃墟に行っていた話です。
一般的に、廃墟は危ない・違法というイメージです。そんな場所にわざわざ立ち寄るには理由があるのです。
私は、高校生の頃HIPHOPをやっていたこともあり、サグやアングラに一応触れたことはあったのですが、葉っぱは吸う気持ちになれないし、ドンキでたむろするのもガラじゃないし。という感じでそういう文化を体現することはあまりしてきませんでした。
それでも、自分の中に「何かを壊したい」という気持ちが溢れているのは知っていましたから、何か見つけたい気持ちがありました。
そんななか、インドネシア留学に行った際何となく立ち寄った場所に衝撃を受けます。滞在していた寮の隣にあった川沿いの貧民街です。
サンダルでサッカーをプレイするガキ、BGMはムスリムの祈りです。
川が水色です。
崩壊しかかった家がとても美しかったです。
川にかかる橋はカラフルでした。
このように、秩序だっていなくて、豊かでもないが、カラフルで壊れかけでエネルギーに満ちているという
光景を目にして、高揚感やワクワクを感じました。また、いつ襲われるかわからない。というような緊張感もありました。
「何かを壊したい」というような欲求がインドネシアのストリートで満たされたのです。
日本に帰った後、同じようなものが日本にないかなと調べました。すると、人はほとんどいないものの、廃墟で同様の体験ができそうだ。と考えるようになりました。
つまり、わざわざ悪いことをしようとしていたのではなく、インドネシアで楽しかった経験を日本で再現しようとしたら、廃墟探索という行動に自然とたどり着いたのです。
大学4年生になると、奇跡的に車を運転してくれる友人や興味を持ってくれた友人に恵まれ廃墟に行くことが出来ました。一人では危なくていけないですからね。その時の写真を一部掲載します。
廃墟の中でもグラフィティ系から攻めていったことで、絵画鑑賞のような要素もありインドネシアのストリートとはまた違った要素を楽しめました。
大学4年の11月
大学4年の3月(卒業旅行)

大学4年の11月の会で撮った一場面は、100号の絵になっています。
この机は多分産業廃棄物です。
注)廃墟探索はおススメはしません。場所の問い合わせも受け付けていません。自分で調べてください。何故なら私は責任を負えないからです。
今日は仕事で主機のかけ方をイメージトレーニングにて練習しました。
- エアタンクを開ける
- 主機予備LOポンプを警報解除を押しながら起動する
- 減速機予備LOポンプを起動する
- 潤滑油のゲージを見てターニングする
- エアランする
- インジケータコックを閉める
- 海水ポンプと清水ポンプを起動して、減速機予備LOポンプを停止する
- 燃料ハンドルを開けて、始動ハンドルを起動位置まで持っていく
- エアーを送り、燃料ハンドルを運転に持っていく
- 主機予備LOポンプを停止して、自動にする
- 問題ないかを確認して制御をブリッジに切り替える
- エアタンクをしめる
明日はそれを実際にやるそうです。 そして、またいろいろなことを教わりました。まずは、潤滑油の仕組みについてです。 エンジン下部にあるオイルパンに使われたLOが溜まります。補機では、それを直接検油棒で残りの油量をチェックします。 検油棒には、上下に印がついていて、その間に油面が残るのが正常な油量という事になっています。 主機についてはオイルパンからサンプタンクに流れ込み、LO清浄機と循環します。サンプタンクに検油棒に似たはかりがついています。 つぎに、海水系統について教わりました。喫水線という言葉を知りませんでしたが、船体が水に漬かっている高さのことを言います。 喫水線より低い場所にはポンプを使わなくても海水が入り込むので作業時は常にバルブの開閉を意識する必要があると教わりました。 海水系統は、給水バルブと、それを流す排水のバルブが必ずあるので、それを意識してその間にあるバルブを一つ一つ確認していくとわかるようになる。と教わりました。 また、海水ポンプや系統は故障しやすいので、エンジンに供給する際は、ポンプを付けた際に圧力計でも確認しなければならない。と教わりました。 また、エンジン冷却水はエンジンに付属したポンプだけでなく、雑用水ポンプから引いてくることもできると教わりました。
一応、ポンプのグランドパッキンとメカニカルシールの違いも教わったのですが、交換できるかできないかくらいかの違いで、いまいちわかりませんでした。
今日の小噺は、昨日の話を書いて思い出したことです。高校生の時からなんとなく、「人は能力を失う事で逆に才能を開花させられる」という発想を持っていました。 それが大学に入って確信に変わった話をしていきたいと思います。 まず、私は大学では障害科学を専攻しました。 障害科学というのは、障害者福祉、障害者教育、障害原理論など様々な方向で障害を考えることで社会問題や人間そのものについての理解を深めるという学問です。 私は特別支援教育学を修めたので、一応特別支援学校の教員免許を持っているんです。船員になっているのに、どうして教員免許を取るところまで頑張れたのかというのはまた今度話します。
私は、大学1年生の頃「さんぷるキューブ」という本を書きました。それは、人生で0から1を生んだ唯一の経験とも言っていいような本です。
どうして、そう言えるかという理由を説明します。
私は、昔から読みが苦手でした。例えば、中学生でやった英文多読の課題では下から2個目のレベルから進まず、社会科でもらう文字だけのプリントに関しては、全く頭に入りませんでした。
なので、読みたくなる工夫をしてこない教科書や参考書、課題図書に囲まれることとなった中学生時代に本そのものが嫌いになり、図書館にも入りにくいような中高生になっていました。
しかし高校生ごろから、白黒の細かい活字本が憎いことで本全体を憎むという考え方は恥ずかしいと思い、色々手に取りやすいものを探すようになりました。
そうすると、読めることもある児童書に気持ちが切り替わり、本屋の児童書コーナーには行けるようになってきました。
そこで、「モデルみたいにかわいくなれるおしゃれガールのキレイLesson」という本に高2の2月に衝撃的な出会いをしました。
読んでみると情報の入れ方や色遣い、キャラの配置などが読みたくなる・読める構成だったのです。また、それらの表現方法が既存の本とは思想が全く異なる事も気付きました。
高校生の頃はそれで終わったのですが、大学1年生の頃にこの発見が再燃します。
というのも、大学で読みにくさによって、他の子と同じように履修登録ができなかったのです。合理的配慮も試みましたが、どうにも自分に合わず挫折しました。
しかし、読みにくさを主張するにも、「自分が読みやすいもの」を知らないとダメだな。と思えるようになりました。
そこで、思い出したのが、高校生の頃の発見です。女児本を参考にした自身で本制作に踏み切ったのです。さらに、「モデルみたいにかわいくなれる~」のような本を資料用として集めるようになりました。
すると、高校2年生から大学1年生の間に、先に紹介したような「女子向けのよみもの(通称女児本)」が表現方法について、とてつもない進化をしていたことを発見します。
この発見は、ネットでまとめられたりしておらず、未だに一般には広く知られていません。
「さんぷるキューブ」はその女児本スタイルを研究し、自分の好きだったカードゲームの内容にしたものです。(本当はこの本にはもう二つ世界初があるのですが、一日の記事におさまらないので、止めておきます。) 自分の好きなスタイルで、好きな内容を入れた本を制作し、自分にとっての「読みたい」を見つめなおしたことで、誰も知らなかった発見をし、その文化の一員となったという証左になっています。 だから、この本の制作は自分の困難から生まれた新しい視点によって生まれた0から1を生んだ経験なのです。 また、この本は、今まで自分がどんなにユニークな経験をしても、主観でしかなかったことが揺るがない物質として残った経験でもあったのです。 この本を書いてから3か月後に、ずっと感じていた希死念慮が流れ去り、その1か月後には、女性人格に憑依されるという人生を変えた精神体験をしています。この本の前後で人生すべてが変わったと言える本なんです。
そんな感じで大学1年生を終えましたが、のちの障害科学の授業で自分の正当性を確信することになります。 それは視覚障害教育の歴史の授業の時間でした。視覚障害の歴史で必ず登場するのが、杉山和一と管鍼法についての逸話です。 あらましはこうです。杉山和一は武家に生まれましたが目を悪くして盲になります。しかし、琵琶法師や按摩士ではなく、鍼医を志します。そこで、同じく盲人の鍼医、山瀬琢一に入門しましたが覚えが悪く、破門されてしまいます。 失意の中山籠もりしていると、松葉の入った筒のようなものを手にし、管を通して鍼を打つ管鍼法を構想します。 それ以前の鍼は、長く太い鍼を刺すもので、非常に高い技量が必要なうえ、危険も伴いました、管鍼法が確立すると多くの人が鍼を扱えるようになり、医療事故も減りました。 17世紀初めの出来事ですが、現在でも鍼の主流のやり方として残っています。(なぜ杉山和一が歴史に登場するかというと、当道座を再編したり、教育を拡充した功績があったからです。)
公益性の規模は大きな差がありますが、杉山和一の管鍼法も私のさんぷるキューブもたいして変わりません。何故なら、どちらも自分の困難や障害によって生まれた疑問や悩みを逆に新たな発見や強みに変えているからです。
私は、困難があったことで他の本と女児本との違いが分かるほど感性が先鋭化していたと考えています。
同様に考えると、杉山和一も多分障害があった事で、他の人より今の鍼の技法に疑問を深め、ついに世を変える発明をしたのだろう。と思います。
さんぷるキューブの1ページ
まとめると、大学時代、自分が困難から生まれた感性で、実際に特殊な発見をしました。また、それを杉山和一の逸話と照らし合わせて考えました。 すると、自らの「人は能力を失う事で逆に才能を開花させられる」というアイデアは間違っていないな。と思えるようになりました。 大学1年生の時点で障害科学の奥義を体得していたと言っても過言ではないのです。そのくらい高校3年生から大学1年生にかけての私は天才だったんです。
今日の仕事はワッチだけでしたが、機関長に当直業務中に様々なことを教えてもらいました。
4サイクルエンジンの吸気弁排気弁・FOノズルは、クランク軸につながっているカムによって、回転運動に合わせて起動されていること。
エンジンの負荷は回転数だけでは決まらず、可変ピッチプロペラの角度も見る必要がある。負荷と対応する指標は、燃料ラックの目盛りであること。
補機の回転数を調整するハンドルはガバナに繋がっていて、ガバナは燃料の量を調整すること。
主機の場合、燃料ラックの目盛りを見れば、負荷が分かる。何故なら、燃料ラックはガバナを調整するプランジャに繋がっているから。
そして、過給機の説明もされました。過給機は、シリンダの中に高圧の空気を送り込むための機械です。ターボチャージャーともいう。
過給機は、排気でタービンを回す。タービンの回転によって空気圧縮機が動く。空気冷却器を通して冷ました空気をシリンダに送る。
これによって、回転数が高い時に、大きな出力を出すことが出来るのが過給機。
こんなことを3時間ほど、主機の部品図や実物の動いている主機を見せられながら聞いていました。
機関長はただのエンジンマニアなのかもしれないですけど、よかったです。
今は、船で色々な新しいことを知れますし、友達や家族のことは気になりません。今までの生き方とは比べ物にならないくらい楽しいです。 しかし、表層的な部分がどれだけ満たされても消せない絶望が心の中にあります。 理由は二つありますが、今日は一つだけを説明します。それは、自分の才能への諦観です。 才能というのは、他人には出来ないことが簡単にできることです。 私は、人の人生は自らの才能に気付いたなら、それを活かし、新たな才能の可能性があるなら開花させる方向に頑張ることが正しいことと思っています。 しかし、私の人生経験上才能を開花させるには猛烈な苦痛が伴うと分かってしまったのです。 だから、私は人生を正しい方向に歩もうとすると相当な苦痛が待ち受けていて、周りにチヤホヤされたり、周りと同じように生きる中で少し優位に立つといった楽しい状況からかけ離れていくと思っています。
何故そう思うかと言うと、今まで特殊な才能が開花した場面は全て大きな苦痛の中で生まれたものであったからです。
他の人と全く異なる才能が生まれた場面を二つ紹介します。
まず一つ目について紹介します。私は、昔は頭の中で具体的なイメージを覚えることが出来ました。例えば、女の子の顔を思い出して可愛いなと思ったり、特定の場面の人の表情や動きを思い出したりできました。しかし、今ではそれが出来なくなっています。
というのも、具体的な時期は覚えていないのですが、中学3年生の頃突如、頭の中のイメージが出来なくなったのです。
そのいきさつを説明します。まず、クラスメイトと非常に不愉快な事件を起こしてしまいました。
成績をいつも自慢してくる子がいました。体育の時間の柔道場にも、成績表を持ってい来るような子でした。その子は、数学の時間いつも隣の子と騒いでいてうるさかったです。
しかし、私が何度言っても静かにしてくれないうえ、先生も注意してくれませんでした。なので、私は授業中にそいつの椅子をひっくり返して、蹴り飛ばしました。そしたら、先生は授業を中断させた私を沢山責めて、件の子には何も言ってくれませんでした。
当時、勉強について行けてなかったうえ、大人にも不満をもっていたので、その事件のことを反芻して繰り返し思い出してしまい、日常的に気持ち悪くなったり頭が痛くなったりしていました。いわゆるトラウマでしょうか?
後からわかったことですが、その子は高2の時点で東大理3の勉強を終わらせて、高3では、海外大の対策をしていたような子です。雑魚に悩まされていたわけではなかったんですよ。
そのような時期が続いたとき、ある日突然反芻の思考が途切れました。それ以降、視覚的なイメージを脳内ですることができなくなりました。
この変化は一見障害や、困難に思えますが、私の中での受容は真逆です。新しい才能に芽生えた瞬間でした。
というのも、イメージが出来なくて、配慮が欠けるようになったことなど僅かな問題は発生しましたが、嫌な情景を繰り返して思い出さなくていい上に、他の人が視覚的にイメージをしてやめることを出来るようになったんです。
たとえば、途方もない挑戦が出来るようになりました。大卒なのにマグロ漁船に乗れてしまったのも、この性質のお陰です。普通ならそんなことイメージしただけでおかしいと思うでしょうが、自分に適性があると判断したうえで、
イメージが出来ないから乗れてしまったんです。つまり、頭でイメージが出来ない分、理論に基づいて「やってみないと分からない」という感性に変わったんです。半端ない実行力を手に入れてしまったんです。
だから、これは、障害ではなく新たな才能なんです。他の人が自動運転で危険と判断して勝手に減速されてしまうところをマニュアルで爆速で走行できるかのような感覚です。
補足すると、たまに眠ってるときに、夢の中でMMさんの綺麗な顔が鮮明に映ったことなどはありました。言わば淫夢ですね。。。なので、脳みそが完全に壊れたわけではないのかなと思っています。
二つ目について紹介します。私は、昔とても繊細な神経を持っていました。海に連れていかれて泳いだら、危なくない場所でも深淵の恐ろしさにビクビクしてしまったり、気になっていたものの新作がでるとドキドキしすぎてしまったりと言う感じです。
これは時期までわかっていますが、高1の12月に突如そのような神経が全く働かなくなったのです。というのも、その時期は授業で芸術の時間があって、毎週1度ピアノを教室の前の方でで弾かなければなりませんでした。
毎回すごくドキドキして望んでいたのですが、ある時を境にピタリとそのドキドキがなくなりました。それ以来ドキドキやカチコチ、ビクビクと言った擬音に代表される、耐え難い神経の感覚というのが一切なくなりました。
感覚を一つ失ったかのように聞こえますが、これも新たな才能の芽吹きでした。
というのも、普通なら怖くてできない事がバンバン出来るようになったのです。例えば、高3の夏に友人と音楽アルバムを出したことがあったのですが、大学受験もある中それを迷いなく主導出来たのは、この神経がオフになっていたからだと思います。
そんな奇跡が起きた少し前、高1の10月11月、12月というのは、人生の中でもメンタル最低の時期でした。離人が酷くて、睡眠困難も明らかに出ていました。現実逃避で毎週10万歩近く歩いていました。
そんな時期に夢と現のはざまで大変な幻覚を見ました。夢の中で薬を飲みました。そしたら、人生で体験したことのない3人称の視点になって壁を貫通してものが見えたのです。
起きた時疲労感で少しの間動けなくなり、物凄い汗が出てたことは覚えています。それ以来、フッと先の感覚が消えたのです。
この二つに共通している事は猛烈なストレスがかかり、精神的体験をして新たな才能に目覚める。ということです。
「いままでで一番不思議だったこと」では、女性と入れ替わるような精神体験をして、いくつかの天啓を得た。という話を紹介しました。 この時期も、魅力的な女性に囲まれた環境であったのに、母親の父親虐待と男子校育ちとが結びついた女性恐怖によって交流できずに生まれた耐え難い苦痛がもとになっていました。 それでも、その天啓によって、人生を拓くきっかけとなったインドネシア留学に何故か食指が伸び、才能を伸ばすことが出来ました。
これらの3つの例からわかるように、自分が他人と全く異なる才能を得た場面では必ず、大きな苦痛がセットだったのです。だから、これから新たな才能を開花させるには苦痛が必要であると何となく思っているのです。
今の時点でも、突き抜けたことのできる凄い人間だと自覚しているのですが、さらに別次元の凄いことをしている巨匠や偉人の人生を見ていると、あと2歩、あと3歩私の才能は及ばないと分かっています。 今のまま才能を活かす方向の努力をしても、一つの世界で上に行く程度のことはできても、世界を変えるような大きなうねりを作ることは到底できません。 それが分かっているから、新たに才能を伸ばせるなら伸ばさないといけないと思っています。そうなると、もう一度、別の角度で命を懸けた苦痛を味わう事が必要だと思っています。 近海船に乗った時、延縄船ならそれが達成できると確信は得たのですが、まだ書き残したことがあると思って、いったん漁師を中断してこの日記を書き続けているわけです。
それが、私の人生に絶望している理由の一つです。正しく生きようと、行けるなら行けるとこまで行こうとすると、大きな受難が待ち受けているということです。
今日は朝風呂掃除をして、当直業務を終わらして、朝飯の後休んでたら、4つのことを言われました。まず、出港日の朝飯の後は、自転車を取り込む仕事があること。風呂掃除でマンホール近くの水は乾かないからふきんでふくこと。 風呂掃除を終えたら、電気を消すこと。部屋の前の靴は整列させること。 一気に言われると、混乱したり不安な気持ちが生まれました。ただ、この日記で振り返ってみると、普通のことで、焦るような事じゃないですね。 出船の作業は、鳥よけのヒモを張ったり、歩みをしまったりしました。ロープワークがよくわかりませんでした。 体がかなり鈍っていて、全然動けないな。と思いました。
船内の燃料油系統について教わりました。まず、サービスタンク(重力タンク)というタンクが機関室の上の方にあります。エンジンの燃料油はそこから使用されます。 そして、航海中は清浄機の力を使って、清浄機タンク・サービスタンク・清浄機に油を循環させます。サービスタンクからのオーバーフローも清浄機タンクに送られます。 清浄機タンクの油量が少なくなれば、清浄機に送る系統を清浄機タンクからヘッダーに切り替えます。ヘッダーは油が積んである貯蔵タンクをまとめたものです。 すると、清浄機の油面が上がります。 一応、ドレンタンクやスラッジタンクもありますが、重要度は低いです。
つぎに、お風呂の炊き方を教わりました。沖に出る場合は、海水を補機のカロリーファイヤーで温海水にします。45度程度で垂れ流しにして、冷海水で調整してお風呂にします。 蛇口を既定の開き具合にして、海水のバルブを既定の位置まで開いて、流量を固定する。そして、カロリーファイヤーのバルブをあけて、ポンプのスイッチつけてポンプのバルブ開けて、ヒーターのバルブを調整して温度を変えます。 くわえて、蛇口からは最初汚れた水が出るので、蛇口を全開にしたりして、流します。 たかだか、お風呂を炊くだけなのに、沢山の行程があって大変でした。ちなみに、カロリーファイヤーの温水を出し過ぎると、逆に補機の冷却水の温度が下がり過ぎてよくないらしいです。 ただ、入ってみると近海船の時より温度がちょうどいい感じで気持ちよかったです。特有の磯臭さがあって、漁船を思い出しました。
今日の昼はミートソース、夜はハンバーグでした。前回も初日昼は、ナポリタンだったので、洋食固定なのかもしれません。
仕事が終わって、部屋で休んでから、19時30頃に外に出たら、月が低い位置に大きく見えて、オレンジ色に光っていました。月の方向にある水面は光っているのですが、甲板の足元は船体の陰になっていて何も見えません。 揺れながら光る水面と漆黒に包まれた足元、煙突から出る大きな音、久しぶりに強い恐怖を覚えました。 そして、月が見えない方向の舷に目を移すと、1面の星空が見えました。低い空にもパノラマで星が数百個見えました。遠い場所に来たんだな。と思いました。
船に乗ってから、さきのことは、あまり考えすぎたらいけないなと思っています。そういう時は、海の恐怖で洗い流すといいかもしれないですね。 ただ、少しは考えたことをまとめたいと思います。 この船でやり切りたいことについて考えました。
- 乗船履歴を貯め船乗りとしての基礎を養う。
- この日記活動をやりきる。
- 絵を書く技術を身に着ける。
- 作家活動をして、納得いく本を絶対出す。 ここまでが、必須だと思っている事です。さらに言うと、やり切った先のことを考えると、
- 海技士に限らず、勉強を出来るだけしておく。 が生まれてきます。この5つが当面の目標かなぁと思います。。。それ以降の話は、もう少し履歴が貯まってから考えます。 それぞれの理由も書いておきますね。
- 純粋にキャリアアップしたいから。
- 作家活動が出来ないからと近海船を降りてきたので、徹底的にやりきりたいから。
- 近海船で、今の瞬間をとっさに絵に残せたら。と思うような美しい場面が非常にたくさんあったから。
- 人生の目標に、25歳までに納得いく作品を残すと決めていたから。
- もしかしたら、今ほど時間的に余裕のある職に就けないかもしれないから。
今日は早めに寝ます。
昨日は、即座に行けばよかった仕事があったのですが、制服を着ていたら間に合いませんでした。停泊中は、制服を着ないで部屋着のまま仕事をしてもよいそうです。 また、集団生活の態度についてよく指導されます。私物を共用部に置き忘れてしまったり、お風呂のドアを閉め忘れたり、乾燥機のフィルターを洗い忘れたりです。 今の船は自分の部屋があって、机も椅子もあるので一人暮らしに近い環境ですが、一歩外に出れば共同生活で、今までより節度をもって生活に取り組まないとなと思います。 今日は朝掃除がありました。本当はもう少し早く起きなければならなかったようです。 船は停泊していますが、当直業務を担当しました。寄港3日目に油揚げという作業があります。それは、FO清浄機タンクから、サービスポンプを使って、サービスタンクに油を送る仕事です。 バルブの開け閉めは簡単なのですが、ポンプ稼働中はサービスタンクの油量目盛りから目を離してはいけない。と教わりました。私が「船乗りになって起きたこと2」で紹介した海上保安庁の巡視船の事故もこの作業中に起きたことだそうです。 大変なことにならないよう責任を持って取り組んでいきたいです。 昼間は何故かわからないけど、かなりキツめのネガティブな気分になりました。手元にあったハイチュウ1.5袋分と、ポテトチップス1袋をかきこんでしまいました。 理由を推測すると、停泊中の当直は3時間に一度の記録だけで、監視室にいなくても良いのですが、どのくらいリラックスしてもよいのかわからず、「あと3時間?すっぽかしたらどうしよう?」という気持ちが強く働き、普段の仕事より逆に疲れました。 この感覚は、近海船に乗っていた時も感じていたことです。仕事中より休みの時に、次の仕事の時間への焦りが出て辛い・休めないという事がありました。他の大人に聞くと、この感覚は未だ私が掴めてない「慣れる」という感覚で解決できるそうです。 なので、早く仕事に慣れたいです。
今日はおとといの記事「人生で一番プレイしたPCゲーム」について、愛読者から質問を頂いたので、答えていきたいと思います。
- Q:「確かに、様々な制作を通して、コンテンツが広まることが良いこととは限らないとわかったり、自分に合うものが何かわかってきた今では、自信を持って時間を使うものを選ぶことが出来ます。」とあります。 後ろの記述は納得できるのですが、前者については、やっぱり多くの人に見てもらえるものが、いいものだと思います。例えば、YouTube再生回数10億回超えの音楽はすべて良いものですよね。どうして、そのように思ったのですか?
- A:ご質問ありがとうございます。まずは、この記述に至った経緯について説明させていただければと思っています。素人は制作について分かりやすかったり、便利だったり、手が込んでいて美しいものが人を集めるし、良いものだ。と思いがちです。 しかし、届くべき範囲に届けば十分で。逆にそれが良い結果であることが往々にあるのです。その結論に至った流れを説明しますね。 プログラミングなり、執筆であったり、作曲であったり、制作を繰り返していくと、制作の前段階に伝える相手やその意図など企画を考えたほうがよいことが分かってきます。(とくにプログラミングにおいて顕著です。) 何故なら、無駄な労力が生まれたり、必要な内容が欠如する不安がうまれるからです。例えば、仲間に曲のアイデアを届けたいというデモの制作のときに、何百万円もする楽器をレンタルしてスタジオで録音したら無駄ですよね。 実際には、適当なキーボードでならした音、手書きの楽譜などでも通じればいいはずで、それに比べると費用などがかかり損失がかかってしまいます。 他にも、学校で講演をする際に、子どもに自分の好きな女優についてアニメ付きのスライドショーで語ってもしょうがないです。拙いプレゼンであっても子どもの悩みを解決するようなアイデアを言うべきで、この講演は必要な内容が 欠如していて失敗になります。このように、何かを制作する際には、作り手側がしたい事と同時に、最初に、どのような相手にどのような場面で伝えるのか。という事を想定しないと、無駄な労力がかかったり、失敗してしまいます。 なので、沢山作ってると、制作は常に作り手と届ける相手、双方向のコミュニケーションになることがだんだんわかってきたのです。多くのコンテンツは多くの人が手に取れば成功という商業主義で出来ているので、気付きにくくなっていたのだろうと思います。 補足をすると、ファインアートのような、「とにかく美しいものを作る」という自分のための制作でも役立ちます。この一作は自分にとって練習なのか、シリーズものの一つなのか、今までの集大成なのか。という意図を考えながら経過ごとに制作物と対話すると、 どこに集中して力を入れればいいのかが見えてきて上達にもつながるからです。 そして、制作をコミュニケーションという考え方で見ると、作ったものが自分の想定していたより広がっている状態はやや不健全であるように思うこともあります。私は、大学4年生の8月に制作した本を100部頒布しました。勿論夢を見れば何千部 と広まってほしいのですが、内容的は私の個性が強すぎるので、表紙だけで興味が無くても手に取る程の意匠を身に着ける努力や、 SNSで遠くの人が興味を持つように宣伝する労力をかけるような本ではないな。と思っていました。 身内に教えるくらいの広告は打ちましたが、それだけです。 なので、100部でちょうどいい、むしろ流行りすぎのような本なんです。もし、1000部も2000部も売れたらちょっと変なんです。 Faeriaに話を戻すと、あのゲームも内容に比して人気があった方だと思います。 どういうことかと言うと、ゲームの内容が実力ゲーなのに、ある程度プレイ人口を保っていたのです。というのも、実力ゲーというのは、課金や運ではどうしようもないので、下手なプレイヤー向きではありません。 すると、自然と初心者が淘汰され、多くの人を引き留め続けることはできません。しかし、実際には多くのプレイヤーがFaeriaをプレイしていたし、配信もありました。それは、魅力を感じる人はいた証拠です。 中学生の頃はジャスティンビーバーがFaeriaについて投稿してくれ。って思っていましたが、そのような予想外の外力が入らない限りは、じわじわと人が減っていく作りだったのだろうと思います。 制作をコミュニケーションと考えられるようになると、実力ゲーにした時点で、ニッチなゲームになることは確実だったな。と思えて、Faeriaが流行らないのも普通だな。と思えるようになりました。 オンラインマッチングシステムの対戦ゲームは、流行らない、人が減る、プレイできなくなるが繋がっていて、多くの人に届けられることが優先になりますね。 そういう特殊な条件がある事で、広まる=いいこと、になっているだけでそれ以外の制作をこなしていくと、別に広がる=いいこととは限らない。と思えるようになりますね。
寝そうなので、明日もうちょっと書きます。
今日は、函館で回ったところと、使ったお金についてまとめたいと思います。
1日目
停泊手当 +5500円
シゲキックス -140円
サイゼリヤのドリアとグラスワイン -400円
五稜郭タワー -1200円
北洋資料館入館料と鉛筆削り -900円
朝飯チーズバーガーとから揚げ -558円
2日目谷地頭温泉入湯料 -490円
石鹸とシャンプーリンスセット -360円
味噌ラーメンとコーラ -680円
3日目ラッキーピエロベイエリア本店チキンバーガーハンバーガージンギスカンバーガー -1551円
4日目の3食代 -1097円
お菓子と酒仕込み -3512円
函館市北方民族資料館 -300円
ジュース仕込み -865円
メロンジュース -200円
函館ロープウェイ往復 -1800円
函館ロープウェイおみやげ -1684円
4日間の交通費 -1600円
4日の累計 -11837円
うち、仕込み金4377円
観光費と交通費5850円
お土産代2484円
食事代4626円
前回記事だと仕込みと食事で8596円使ったようです。今回使ったのは、9003円でした。前回の計算方法は、累計の損失から、布団と家電代を抜いて計算していましたが、今回はそれぞれ分けて計算したので、若干違います。
なのでこれからは、今回の様に、分かりやすいようにレシートを分けていきたいです。それでも、前回と仕込みのお金に大きな違いが無いことが分かります。今回は、函館だったということで、観光費・交通費・お土産代が高くなりました。
次の停泊地ではどうなるか引き続き見ていきたいです。
函館は茂った建物が多いです。
函館には海上自衛隊があります。
海岸沿いにクマのモニュメントがあります。
勇敢な明治時代の人
ご当地ハンバーガー
300円程度で移動できる。交通系IC対応。様々なラッピングがあり、これは貸し切り。
樺太に戦争に行った人もいた。
サイゼは函館駅近くのキラリスにある。
変な名前の店。「こちらムニュムニュです。」と言って電話を取るのか。
まぼろし博覧会にありそう。
かきくけ子は酷いだろ。
五稜郭タワーはそこまで満足感が無かった。歴史の説明も分かりにくかった。
北洋資料館は入場料100円なのに、熱心な警備員がいて「後ろに何でも分かる人がいるから。」と言って、函館の歴史を教えてる先生を召喚してくれました。
高田屋嘉平、江戸時代松前藩にいた船乗り。松前藩を通じて、ロシア南下政策を危惧する幕府から航路を整備する役目を賜った。成果があり、船頭なのに、名字帯刀を許可された。
函館金太郎の料理。活だこが美味しかった。2400円の海鮮丼はよかった。
谷地頭温泉ラーメン500円2日目したことはこれで終わり。
荒天の函館は、地獄に見える。そもそもこのガソスタもなんか色あせてて茂ってる。
ラッキーピエロはモスバーガーやマックの感覚でバーガー3つ頼んだら、おなか一杯になった。
パンが硬い。ガラナだけの自販機がある。
ラッキーピエロの隣にあるコンビニ
北方民族資料館、着物の柄と首飾りの意匠が記憶に残った。休憩室には例のマンガが全巻おいてあった。
函館ロープウェイは高いが、いく価値はあり。満月だった。
ビアガーデンで奢ってもらった。ニシンが美味しかった。
今日は朝5時30に掃除があっただけで、函館でお休みでした。そこで、昼過ぎからお風呂に行きました。函館で行った場所は、明日まとめて記事にするとして、今日は職場の雑談にはならないけどよく思い出す話を書くことにします。
私は結構ゲームをプレイする方です。携帯機よりPCでプレイするゲームが好きです。PCでやるゲームは画面も大きいし、すぐネットで調べられるし、快適だからです。
ただ、私はあまり一つのゲームに熱中するタイプではありません。面白いゲームでも50から100時間ほどで飽きが来てしまいます。理由は、目的がなくなってしまうからです。なので、飽きずにたくさんプレイしたゲームは思い出深いのです。
私が、プレイしたPCゲームの中で二つ、続けられるものがありました。
一番は、大学1年生の時に奨学金で購入した「ハニーセレクト2」と「Room Girl」という同じ会社のエロゲーです。これについては、また今度書きます。
今回紹介するのは、おもに中学3年生の間にプレイしていた「Faeria」というゲームです。Faeriaは、デジタルカードゲームでシャドウバースと同じジャンルのゲームで、Abrakamという会社が作っているゲームです。500時間以上プレイしました。
ゲームについて紹介する前に、私の中学3年生の頃を振り返ってみます。当時日記を書いていなかったので、時系列は何となくです。
私が小4の頃、兄が中学受験の合格祝いに買ってもらったゲーミングPCがありました。
当時はスマホやSwitchでマイクラができず、PCかXboxくらいしか選択肢がなかった時代です。
そのPCは私が中学生になる頃には使われなくなり、リビング横の母の和室に、デスクごと置かれていました。
遠くの相手と協力したり、ゲームを配信することに憧れがあった私は、次第に毎日のようにPCを利用するようになりました。
自分の部屋がなかった私にとってゲーミングPCとその周りだけが、安心できるスペースの様になっていたように思います。
これが、私のゲーム環境です。
そして、中学生のころまでどんな活動をしていたのかを説明します。
中学3年生の夏頃までは、陸上をやっていたのですが、夏休みを過ぎてから暇を持て余していました。
詳しく言うと、夏合宿に耐えかねて運動部を退部した私は、中学1年生の10月ごろから小学校で仲良かった同級生に誘われて小さな会で運動するようになりました。
そこでは、同級生とその友達、そして体育を大学で教えてる友達の親と4-5人ほどで、競技ではなく、健康の向上を目指してハードル走や短距離走をやっていました。会費は競技場の貸し出し費の割り勘代だけでした。
しかし、他の同級生は高校受験組だったので、中3の夏休みを期に解散することになりました。そこからは月に2回秋葉原でパソコンで音楽を作る教室に通ったりしていました。
この二つの活動は、陸上やってた。とか、DTMやってた。とか言えば職場でも雑談のネタにすることが出来ますね。しかし、今回話したいのは空白期間にハマっていたゲームについての誰とも共有できない闇のエピソードです。
それがFaeriaというゲームです。
Faeriaはゲームとして面白かった
私は結構いろんなカードゲームをプレイしましたが、唯一無二の魅力が沢山あったカードゲームだと思っています。
まず、プレイしたカードを自分が操っている、と言う感覚がとても高かったです。1ターンに1度プレイしたクリーチャーを移動したり、攻撃することが出来ます。それも、はじめは何もないマップの上に自分で床タイルを作って、その上を動かします。
戦術によって、クリーチャーの動かし方はだいたい決まっているのですが、かなり自由度が高く、プレイするだけで自分の駒だと思えるような動きをしてくれました。
そして、このゲーム最大の特徴であるパワーホイールが神ゲーでした。
毎ターンタイルを置くか、ドローするか、マナを一つ追加するか選べるのですが、この選択が勝敗に直結するうえ、どの選択も捨てがたいという稀有なバランスでした。
つぎに、カードデザインも秀逸で今でも好きなカードはいくつかあります。

このカードは、飛行と襲撃5をもち、盤面の端から端まで簡単に移動できる機動力を持つうえ、ETBで自軍かどうかを問わずクリーチャーを動かすこともできます。色拘束と「特別感」という報酬が噛み合っていると思えるデザインです。

跳躍しか能力がついていませんが、コスト、スタッツ、色拘束すべてが噛み合い広く使われていたカードです。イラストも味があります。

クジラが相手のクリーチャーを飲み込む。倒すとそれが出てくるという、非常に分かりやすいデザインだと思っています。
最後に、カードが簡単に集まる事から、資産の多寡で勝敗が決まりにくい。という純度の高さも私にあっていました。
Faeriaのコミュニティ
面白いゲームは沢山ありますが、Faeriaを長く続けられた理由として、コミュニティがあったからだと思っています。
中学3年生のころTwitchで別のPCゲームを配信したりしていましたが、Faeriaに興味を持ち、コミュニティに参加したところ、とても暖かく迎え入れてくれました。
たとえば、スクリーンショットを送って、質問をすれば、複数人が丁寧に教えてくれました。
また、常に配信をしているFaeria魔人の方が数人いて、それがリアルタイムで更新されるコンテンツのようになり、興味を持続できました。そして、自分が配信しても誰かがコメントを残してくれました。
そこで、高校受験もない私は、自身のチャンネルでFaeriaをメインで配信するようになりました。
さらに、やりとりのなかで、同じ趣味を共有するもの同士で連帯感が強くなり、Faeriaに限らずいろいろなストラテジーゲームを遊ぶようになりました。
そこで教えてもらったPrismata, Artifact(当時は3本レーン), TFT, Mythgardなどのゲームは私の生活の範囲では見たことも聞いたこともありませんでしたが、とても面白くて、私の好奇心を刺激したように思います。
こんな感じで、Faeriaは私にとって部活や居場所代わりになったゲームなのです。
思春期に過疎ゲーに打ち込むことの功罪
今までの話で、誰もやってなかったとしても、良いコミュニティに入ることが出来、楽しいゲームも見つけられたならいい話だろう。と思われるかもしれませんが、中学生当時は不満でいっぱいでした。
まず、自分の自信やアイデンティティが中々保てませんでした。なぜなら、中学生のオタクの考え方に、「身の回りで広まっているもの=良いもの・価値の高いもの」という図式があるからです。
布教と言って友達に自分の嗜むコンテンツを共有して仲間を作ることは皆することです。しかし、常時接続数が100人程度のゲームを毎日やっていても、同じことをしている人は周りに誰もいないし、
PCで、discordで、ストラテジーで、と言って誘ってプレイできる人もいませんでした。なので、自分の毎日やっていることが、誰にも共有できず、社会的価値も低い事なんだ。と思う事が多くなり自信やアイデンティティを保つことが難しくなりました。
確かに、様々な制作を通して、コンテンツが広まることが良いこととは限らないとわかったり、自分に合うものが何かわかってきた今では、自信を持って時間を使うものを選ぶことが出来ます。
しかし、中学生ではどうしてもそのように切り替えて考えるのは難しかったのだろうと思います。
また、周りへの不満も高まりました。なぜなら、身の回りの人が私が打ち込んでいることを理解できなかったからです。
というのも、部活をやっていれば、競技名を言うだけで、ある程度は伝わりますし、話を共有できます。しかし、誰もやっていないゲームで会ったことないオッサンと仲良く遊んでいるということは、こと細かに説明をしなければなりません。
それは今よりさらに口下手だった幼少期には難しかったです。たとえば、「Faeriaが神ゲーすぎる。」と言ったり会社名の「Abrakam(アーブラカーム)」と叫ぶくらいのことしかできませんでした。だから、他の人から何をやっているのかわからない人と思われていたのだろうと思っています。
つまり、Faeriaをやっていた時代はリアルに仲間がいない、周りは何もわかってくれない。という状況が長く続いたのです。それは、捻くれたり、不適応になる一因になっていました。
まとめると、承認や理解が大事な中学生の時に過疎ゲーにハマったことで、不満を持つことが増え、自分のことが分かって自信をもてるようになるまで、なかなか芽を出すのが遅くなりました。 しかし、今では、Faeriaのコミュニティを通して知ったことや、不満を通していち早く自分の個性を深く知れたことは、自分の人生をよくしてくれたと思っています。
昨日は入港日でした。そのあとあちこち行ったり飲酒したりして、日記を書く時間を取れなかったので、次の日の晩に振り返っています。 朝から主機をかけて、揚錨をしました。 主機をかけた際に、前回機械を停止した時に調速機のノブを押し込んでしまっていたらしく、停止する際に引っ張たら、そのままでいいと言われました。 次回から気を付けたいです。 入港の際には函館の海上自衛隊の護衛艦が見えたり、Ocean interventionと書かれた黄色い船が止まっていたりしました。 歴戦の元マグロ漁師の船員からは、船体が白と赤で塗られているのがマグロ船だ。と教えてもらいました。 甲板部のおもてにいましたが、やるべきことが全然分かりませんでしたが、入出港は沢山ある船なのでこれから覚えていきたいです。 また、入港作業が終わった後も、停泊用発電機に切り替えて、エアコンもその電源に切り替えました。また、タンクの残油をおもり付きの巻尺ではかっていました。
いつもは、日記の後に小噺を書いているのですが今日はすごくlazyでブログを書く気力がわかなかったので、画像メインですむ絵画の話をしたいと思います。
洋上だとネットが無く、暇すぎて、保存した画像やプリントした画像で美術を楽しむことも立派な娯楽になります。
私は大学3年生の3月にDIC川村記念美術館に行き、大学4年生の12月から近代美術に傾倒するようになりました。
川村記念美術館では、ロスコ・ルームと呼ばれる特殊な展示部屋があり、そこが一番感動したのですが、その後さまざまな絵画を見るようになり、総合的に一番好きになった画家はキスリングです。
というのも、ロスコの絵は、高速で突っ込んでくるダンプカーが目の前にあるような避けられない死を予感させます。
しかし、キスリングの絵は、理想化された部分と写実、鮮やかな色遣いと昏い表情など相反する要素があります。その矛盾によって生まれるエネルギーを最大限発揮して、生命力やずみずしさを感じさせます。
キスリングの絵を見た時の感覚は私がマグロ船の揚縄の様子をYouTubeで見た時に近いです。「こんな生命エネルギーがあるんだ」という憧れを感じます。同じ理由でエロい絵多いですね。
また、絵から漂う異国情緒から、誰とも重なり合わない部分が大きかったのだろうなと感じさせます。
矛盾する感覚、鮮やかな色彩、異国情緒、自分と重なる部分がとても多いと感じるので、凄く好きな画家です。この人がいなければ、油絵への情熱はそこまで高くならなかっただろうと思っています。
私が実際に目で見たキスリングの作品をあげていきたいと思います。
姉妹

大学3年生の3月に川村記念美術館の常設展で見ました。画像はネット上のブログから転載。
ファルコネッティ嬢

大学4年生の1月に三菱一号館美術館のアールデコ展で見ました。当時の洋服と並べて展示されていました。
花(池田大作コレクション)
マグロ船に乗る前の4月に京都市美術館に来ていた池田大作コレクションで展示されていました。名前の綴りも間違っていたし、不愉快でした。
リタヴァンリアの肖像
マグロ船に乗る前5月に埼玉県立近代美術館のコレクション展で見ました。最初見た時は、本当に人がいると思い驚きました。隣に静物画もありましたが、あまり記憶に残りませんでした。
カーテン前の花束
マグロ船に乗る前5月に村内美術館で見ました。日本で一番多くのキスリング作品を所蔵している美術館で、入場料も安く大変良心的な美術館です。常設で6作品展示しており、ここに行けば必ずキスリングの絵が見れるという数少ない美術館です。
(マグロ船後の8月に池田20世紀美術館の常設展で「モンパルナスの女」を見ました。有名作「女道化師」も所蔵していますが、岡山に貸し出し中でした。ここも、行けば必ずキスリングの絵が見られる美術館です。)
これから見たい国内のキスリングの作品をあげていきたいと思います。
オランダ娘
この絵を画集で見ると泣きそうになります。大阪中之島美術館にありますが、あそこは常設展がないので、なかなか出てきません。コレクション展があるまで待たなければなりません。
ジョゼット
この絵は死ぬまでに絶対見たい絵の一つです。画集でしか見たことがありませんが、人物から放たれるエネルギーがハンパないです。
山形美術館にあります。しかし、服部コレクション「静物と室内風景/肖像と人間」が展示される年に2か月しか見ることが出来ません。そして、私は今年見れなさそうです。
メキシカンガール
多分個人蔵ですが、日本にあるんじゃないかなと思っているキスリング作品です。色遣いがサイコーだと思います。
あとは多分ホテルオークラがいいやつを結構持ってると思うんですけど、現在見ることはできません。
これから見たい海外のキスリング作品をあげていきたいと思います。
イングリッド
この絵は名画中の名画だと思いますが、現在展示している美術館はありません。スイスのプチパレ美術館の機嫌次第です。同じ絵が二つあるらしい。
ブイヤベース
この絵は、マジですごいですがどこ所蔵なのかさっぱりわかりません。
カタログレゾネでしか見たことない絵(インターネット初の画像ばっかりだと思います。読者サービス大出血です)
キスリングの絵はダークさと言葉にできない上品さがあって、ワクワクしますよね。いずれ、これらの絵の色遣いやマチエルを知れたらいいなと思います。
最後に、キスリングの名言「私は、いつの日か、一枚の裸婦像を前にして、見る人がそれは娼婦か、職業的モデルか、あるいは社交界の婦人なのか、見分けられるところにまで達することができると思う」
についての感想を。実は、私も娼婦を絵にしたいなとひそかに夢見ています。娼婦はオナクラ嬢がいいです。何故なら、オナクラ嬢は私が好きな日本独特の文化だからです。
最近の写実の画家は、娼婦を書かないで、佳乃とか職業モデルばっかりを書いていることが、気に入らないです。同じモデルを様々な人気作家が共有していることは理解できますが、同じモデルの作品が多すぎです。
今日の仕事は掃除と船洗いでした。船洗いでは、廊下に貼ってある敷物をともに出して水洗いしました。結構量があって大変でした。 そして、昨日の朝佐渡を出発し、今日の朝には青森の沖にいました。海岸沿いに風車が沢山見えて、本州の日本海側には風力発電が沢山ある事を知りました。 津軽海峡に入ったくらいから海が穏やかになり、風も心地よい感じになりました。後ろを見ると知内発電所が見え、前には函館山や五稜郭のタワーが見えました。 最初見た時は、青森と北海道って意外と近いな。と思いましたが、両方北海道でした。
さすがに10日も先輩と一緒にいると話すことも減ってきて、今日はトイレの汚物タンクの話で盛り上がりました。フロートスイッチが壊れた時は、カッパ着てうんち塗れになって交換したらしいです。 しかし、タンクが海水に接している都合そんなに匂いはないそうです。夜ご飯に海鮮丼がでましたが、とろろの主張が強くて、1パック3000円の大トロがあまり味わえませんでした。
船に乗って、他の人と会えないと色んな人のことを思い出します。そこで、今日は人生で尊敬している人の話をしたいと思います。
私は、他人と常に対等な関係に立とうと考えています。そのため、相手に何か教わったら何かを返したり、助け合ったりしてずっとエネルギーだけを受け取り続けるという相手は殆どいないです。
しかし、こんな生き方があったのか、こんな自由でよかったのか。という新鮮な価値を発見させてくれた人、つまり私を自由にさせてくれた人は対等になる事は難しく尊敬が絶えません。
そのような人は対面したことある人のなかでは、未だ2人しかいません。そのうちの1人いむなさんについて書こうと思います。
私がいむなさんと初めて会ったのは、多分高校1年生の頃です。
いむなさんが主宰しているキューブドラフトイベント、いむドラの参加者をTwitterを通じて募集していました。
そこに、キューブドラフトの記事を見て興味を持っていた私が飛び込んでみた。という状態です。
いむドラは遊戯王のキューブドラフトです。
キューブドラフトは説明するのが難しいのですが、主催者が好きなカードを集めてそのカードで参加者と一緒に遊ぶゲームです。
キューブドラフトは古今東西の遊びの中でも、純粋さがかなり高い遊びです。
というのも、主催者が持ち寄ったカードを使ってプレイするので、そこでのテクニックや工夫は大会環境で役に立ちません。あくまで、キューブドラフトの中での意味しかありません。そのうえ、参加賞も無ければ景品も無いです。
ボードゲームと異なり、出会いやコミュニケーション目的要素も少ないです。勿論会話を楽しむことはできますが、そこに主眼はおかれていません。純粋なプレイ体験の面白さを追い求める趣味なんです。
いむなさんは王と呼ばれていた。
当時は、いむなさんは、「ドラフトの王」とbioに自称していたのもあり、周りの人たちから「王」と呼ばれていました。楽しいプレイ体験を追求しているだけなのに、尊敬を集めていたのです。
いむドラの一番すごいところは、純粋な遊び心で多くの人が動いているところです。
アラサー社会人が、休日に楽しみだけを目的で6人集まる。
いむドラは年間50回近く開催されることもあり、その多くが6人でプレイする6ドラです。私以外は、アラサーの社会人でした。高校生の私にとっては、かなりそれが衝撃でした。何故なら、大人になったら実利がないことは皆しなくなる。
もしくは、純粋な楽しさを追い求めている人から人が離れていくと思い込んでいたからです。しかし、いむドラでは昼食も食べずにカードゲームに8時間程度没頭していたのです。それも一人ではなく、仲間とです。
高校や大学の仲間とだけ遊んでいるわけではなく、ドラフト活動を始めてから出会った人もいるようです。このことは、子どものような楽しみは大人になったら捨てないといけないという不安を消し去ってくれました。
つぎにすごいところは、自分の世界の中で積み上げ、発展させ続けるということをしているところです。
普通の人は、何か面白いこと見つけた時そこで終わってしまうんですが、いむドラは見つけた面白いことをベースに新しいことへ発展させることができるのです。
しかも、それは自然科学などではなく、自分で価値を決めた遊びの中でです。
探究が遊びの中にあるのが王たる所以
たとえば、《妖醒龍ラルバウール》と《終焉龍 カオス・エンペラー》は汎用効果を持ち、いむドラに検討された事のあるカードです。あるとき、その2枚の組合せで繰り返し《終焉龍 カオス・エンペラー》を召喚するコンボを見つけました。
その後、はじめはこの組合せは強すぎる。と採用をためらっていましたが、実践投入してみると、そこまで理不尽な強さではないことがわかり、定番のギミックとして定着しました。
最近のカードだと、《蕾禍ノ曝藤》のギミックが凄いと思っています。テーマカードであるこのカードを、以前から使われていたマイナーカード《プレイング・マンティス》、《盛悴のリザルドーズ》や《ジャイアント・メサイア》を組み合わせて、
一つのデッキになるレベルのギミックになることを発見しました。
この二つの例のように、まずドラフトに入るカードを発見する、それをプールに入れた場合の他のカードとのコンボを発見する、強さについての仮説を立てる、実際にプレイして強さを確かめる。という一つの発見で立ち止まらない
流れを毎回こなしています。
他のカードについて発見、仮説と実験を繰り返して1枚1枚のカードが選定されています。
しかもそれは、世界一般の話ではなく、ドラフトという自分の作った世界での話です。私はそれまで、趣味の中でものごとを応用させたり発展させた人を見たことが無く、今まで見つけられなかった新しい扉を開かせてもらったと思っています。
カードゲームは、カードをコレクションしたり大会で優勝をしたりすることを目指せば、目的が達成されるか、限界を感じて諦めればいつか終わりが来ます。 しかし、いむなドラフトのように自分の世界での探究を繰り返すというやり方でカードに向き合うと、凄く芳醇で終わりの来ない遊び方ができると知りました。 他の趣味でもそうです。金銭をどれだけかけたか、どれだけの時間を使ったか、勝負でどこまで行けるかという向き合い方ではなく、好きなものから発見したことを色々試したりしながら、新たな発見へ繋げていくと趣味が自分だけのものになるし 何十倍も奥深くなります。
大人になっても純粋に遊びを楽しめること、趣味の中で探求を続けて発展させること。この二つは私の人生で、趣味や遊びへの概念を変え、大人になる事への不安を大きく和らげました。 私が高校生の時にいむなドラフトの真似をして、キューブドラフトを友達とやっていたら、高3の保護者会で母がその友達の親から「たちばな君のお陰で荒みがちだった息子が楽しく学校に行くようになった。」 と感謝されたそうです。自分がいむドラから受け取ったものが友達にも伝わったのかもしれません。
話が上手くまとまりそうでしたが、真似できたのはこの二つだけで、いむドラはさらに上を行きます。
いむドラは、新しい技術や情報を仲間との協力の中ですぐに取り入れる事です。
他の人との協力の中でさらに進化する。
いむドラは、近年コメジルシさんと言う方と交流が多く、その人の魔法使いドラフトの調整に全面協力しており、お互いのプレイグループで参加しあったり、プールのカードの意見交換をしています。
そして、仲間のプログラマーと協力して独自のツールを作り、今まで面倒だったカードプール管理、効果のサーチ先の参照、日程調整、席決めなど便利な機能を一括で管理できるようにしています。
それにより、快適なプレイ環境が形成されており、現状新たなレベルの遊びになっています。
慕われる頂点にいながら、さらなる進化を繰り返すのがいむドラです。真似のできないレベルの高度な遊びを趣味の中でしているんです。
私にとっていむなさんは、「大人でも純粋に遊んでいいこと」、「趣味の中に探究を取り入れること」この二つを身をもって教えてくれ、さらに大きい背中を見せてくれる存在なんです。 後に知りましたが、いむなさんは、私の通っていた高校の大先輩だそうです。 母校には岸田文雄、かてぃん、斎藤豊作 など、色々な有名人がいますが、私が最も尊敬するのは、いむなさんなんです。