愛読者からの疑問に答えます。

昨日は、即座に行けばよかった仕事があったのですが、制服を着ていたら間に合いませんでした。停泊中は、制服を着ないで部屋着のまま仕事をしてもよいそうです。 また、集団生活の態度についてよく指導されます。私物を共用部に置き忘れてしまったり、お風呂のドアを閉め忘れたり、乾燥機のフィルターを洗い忘れたりです。 今の船は自分の部屋があって、机も椅子もあるので一人暮らしに近い環境ですが、一歩外に出れば共同生活で、今までより節度をもって生活に取り組まないとなと思います。 今日は朝掃除がありました。本当はもう少し早く起きなければならなかったようです。 船は停泊していますが、当直業務を担当しました。寄港3日目に油揚げという作業があります。それは、FO清浄機タンクから、サービスポンプを使って、サービスタンクに油を送る仕事です。 バルブの開け閉めは簡単なのですが、ポンプ稼働中はサービスタンクの油量目盛りから目を離してはいけない。と教わりました。私が「船乗りになって起きたこと2」で紹介した海上保安庁の巡視船の事故もこの作業中に起きたことだそうです。 大変なことにならないよう責任を持って取り組んでいきたいです。 昼間は何故かわからないけど、かなりキツめのネガティブな気分になりました。手元にあったハイチュウ1.5袋分と、ポテトチップス1袋をかきこんでしまいました。 理由を推測すると、停泊中の当直は3時間に一度の記録だけで、監視室にいなくても良いのですが、どのくらいリラックスしてもよいのかわからず、「あと3時間?すっぽかしたらどうしよう?」という気持ちが強く働き、普段の仕事より逆に疲れました。 この感覚は、近海船に乗っていた時も感じていたことです。仕事中より休みの時に、次の仕事の時間への焦りが出て辛い・休めないという事がありました。他の大人に聞くと、この感覚は未だ私が掴めてない「慣れる」という感覚で解決できるそうです。 なので、早く仕事に慣れたいです。

今日はおとといの記事「人生で一番プレイしたPCゲーム」について、愛読者から質問を頂いたので、答えていきたいと思います。

  • Q:「確かに、様々な制作を通して、コンテンツが広まることが良いこととは限らないとわかったり、自分に合うものが何かわかってきた今では、自信を持って時間を使うものを選ぶことが出来ます。」とあります。 後ろの記述は納得できるのですが、前者については、やっぱり多くの人に見てもらえるものが、いいものだと思います。例えば、YouTube再生回数10億回超えの音楽はすべて良いものですよね。どうして、そのように思ったのですか?
  • A:ご質問ありがとうございます。まずは、この記述に至った経緯について説明させていただければと思っています。素人は制作について分かりやすかったり、便利だったり、手が込んでいて美しいものが人を集めるし、良いものだ。と思いがちです。 しかし、届くべき範囲に届けば十分で。逆にそれが良い結果であることが往々にあるのです。その結論に至った流れを説明しますね。 プログラミングなり、執筆であったり、作曲であったり、制作を繰り返していくと、制作の前段階に伝える相手やその意図など企画を考えたほうがよいことが分かってきます。(とくにプログラミングにおいて顕著です。) 何故なら、無駄な労力が生まれたり、必要な内容が欠如する不安がうまれるからです。例えば、仲間に曲のアイデアを届けたいというデモの制作のときに、何百万円もする楽器をレンタルしてスタジオで録音したら無駄ですよね。 実際には、適当なキーボードでならした音、手書きの楽譜などでも通じればいいはずで、それに比べると費用などがかかり損失がかかってしまいます。 他にも、学校で講演をする際に、子どもに自分の好きな女優についてアニメ付きのスライドショーで語ってもしょうがないです。拙いプレゼンであっても子どもの悩みを解決するようなアイデアを言うべきで、この講演は必要な内容が 欠如していて失敗になります。このように、何かを制作する際には、作り手側がしたい事と同時に、最初に、どのような相手にどのような場面で伝えるのか。という事を想定しないと、無駄な労力がかかったり、失敗してしまいます。 なので、沢山作ってると、制作は常に作り手と届ける相手、双方向のコミュニケーションになることがだんだんわかってきたのです。多くのコンテンツは多くの人が手に取れば成功という商業主義で出来ているので、気付きにくくなっていたのだろうと思います。 補足をすると、ファインアートのような、「とにかく美しいものを作る」という自分のための制作でも役立ちます。この一作は自分にとって練習なのか、シリーズものの一つなのか、今までの集大成なのか。という意図を考えながら経過ごとに制作物と対話すると、 どこに集中して力を入れればいいのかが見えてきて上達にもつながるからです。 そして、制作をコミュニケーションという考え方で見ると、作ったものが自分の想定していたより広がっている状態はやや不健全であるように思うこともあります。私は、大学4年生の8月に制作した本を100部頒布しました。勿論夢を見れば何千部 と広まってほしいのですが、内容的は私の個性が強すぎるので、表紙だけで興味が無くても手に取る程の意匠を身に着ける努力や、 SNSで遠くの人が興味を持つように宣伝する労力をかけるような本ではないな。と思っていました。 身内に教えるくらいの広告は打ちましたが、それだけです。 なので、100部でちょうどいい、むしろ流行りすぎのような本なんです。もし、1000部も2000部も売れたらちょっと変なんです。 Faeriaに話を戻すと、あのゲームも内容に比して人気があった方だと思います。 どういうことかと言うと、ゲームの内容が実力ゲーなのに、ある程度プレイ人口を保っていたのです。というのも、実力ゲーというのは、課金や運ではどうしようもないので、下手なプレイヤー向きではありません。 すると、自然と初心者が淘汰され、多くの人を引き留め続けることはできません。しかし、実際には多くのプレイヤーがFaeriaをプレイしていたし、配信もありました。それは、魅力を感じる人はいた証拠です。 中学生の頃はジャスティンビーバーがFaeriaについて投稿してくれ。って思っていましたが、そのような予想外の外力が入らない限りは、じわじわと人が減っていく作りだったのだろうと思います。 制作をコミュニケーションと考えられるようになると、実力ゲーにした時点で、ニッチなゲームになることは確実だったな。と思えて、Faeriaが流行らないのも普通だな。と思えるようになりました。 オンラインマッチングシステムの対戦ゲームは、流行らない、人が減る、プレイできなくなるが繋がっていて、多くの人に届けられることが優先になりますね。 そういう特殊な条件がある事で、広まる=いいこと、になっているだけでそれ以外の制作をこなしていくと、別に広がる=いいこととは限らない。と思えるようになりますね。

寝そうなので、明日もうちょっと書きます。


Last modified on 2026-10-14