今日の仕事はワッチだけでしたが、機関長に当直業務中に様々なことを教えてもらいました。
4サイクルエンジンの吸気弁排気弁・FOノズルは、クランク軸につながっているカムによって、回転運動に合わせて起動されていること。
エンジンの負荷は回転数だけでは決まらず、可変ピッチプロペラの角度も見る必要がある。負荷と対応する指標は、燃料ラックの目盛りであること。
補機の回転数を調整するハンドルはガバナに繋がっていて、ガバナは燃料の量を調整すること。
主機の場合、燃料ラックの目盛りを見れば、負荷が分かる。何故なら、燃料ラックはガバナを調整するプランジャに繋がっているから。
そして、過給機の説明もされました。過給機は、シリンダの中に高圧の空気を送り込むための機械です。ターボチャージャーともいう。
過給機は、排気でタービンを回す。タービンの回転によって空気圧縮機が動く。空気冷却器を通して冷ました空気をシリンダに送る。
これによって、回転数が高い時に、大きな出力を出すことが出来るのが過給機。
こんなことを3時間ほど、主機の部品図や実物の動いている主機を見せられながら聞いていました。
機関長はただのエンジンマニアなのかもしれないですけど、よかったです。
今は、船で色々な新しいことを知れますし、友達や家族のことは気になりません。今までの生き方とは比べ物にならないくらい楽しいです。 しかし、表層的な部分がどれだけ満たされても消せない絶望が心の中にあります。 理由は二つありますが、今日は一つだけを説明します。それは、自分の才能への諦観です。 才能というのは、他人には出来ないことが簡単にできることです。 私は、人の人生は自らの才能に気付いたなら、それを活かし、新たな才能の可能性があるなら開花させる方向に頑張ることが正しいことと思っています。 しかし、私の人生経験上才能を開花させるには猛烈な苦痛が伴うと分かってしまったのです。 だから、私は人生を正しい方向に歩もうとすると相当な苦痛が待ち受けていて、周りにチヤホヤされたり、周りと同じように生きる中で少し優位に立つといった楽しい状況からかけ離れていくと思っています。
何故そう思うかと言うと、今まで特殊な才能が開花した場面は全て大きな苦痛の中で生まれたものであったからです。
他の人と全く異なる才能が生まれた場面を二つ紹介します。
まず一つ目について紹介します。私は、昔は頭の中で具体的なイメージを覚えることが出来ました。例えば、女の子の顔を思い出して可愛いなと思ったり、特定の場面の人の表情や動きを思い出したりできました。しかし、今ではそれが出来なくなっています。
というのも、具体的な時期は覚えていないのですが、中学3年生の頃突如、頭の中のイメージが出来なくなったのです。
そのいきさつを説明します。まず、クラスメイトと非常に不愉快な事件を起こしてしまいました。
成績をいつも自慢してくる子がいました。体育の時間の柔道場にも、成績表を持ってい来るような子でした。その子は、数学の時間いつも隣の子と騒いでいてうるさかったです。
しかし、私が何度言っても静かにしてくれないうえ、先生も注意してくれませんでした。なので、私は授業中にそいつの椅子をひっくり返して、蹴り飛ばしました。そしたら、先生は授業を中断させた私を沢山責めて、件の子には何も言ってくれませんでした。
当時、勉強について行けてなかったうえ、大人にも不満をもっていたので、その事件のことを反芻して繰り返し思い出してしまい、日常的に気持ち悪くなったり頭が痛くなったりしていました。いわゆるトラウマでしょうか?
後からわかったことですが、その子は高2の時点で東大理3の勉強を終わらせて、高3では、海外大の対策をしていたような子です。雑魚に悩まされていたわけではなかったんですよ。
そのような時期が続いたとき、ある日突然反芻の思考が途切れました。それ以降、視覚的なイメージを脳内ですることができなくなりました。
この変化は一見障害や、困難に思えますが、私の中での受容は真逆です。新しい才能に芽生えた瞬間でした。
というのも、イメージが出来なくて、配慮が欠けるようになったことなど僅かな問題は発生しましたが、嫌な情景を繰り返して思い出さなくていい上に、他の人が視覚的にイメージをしてやめることを出来るようになったんです。
たとえば、途方もない挑戦が出来るようになりました。大卒なのにマグロ漁船に乗れてしまったのも、この性質のお陰です。普通ならそんなことイメージしただけでおかしいと思うでしょうが、自分に適性があると判断したうえで、
イメージが出来ないから乗れてしまったんです。つまり、頭でイメージが出来ない分、理論に基づいて「やってみないと分からない」という感性に変わったんです。半端ない実行力を手に入れてしまったんです。
だから、これは、障害ではなく新たな才能なんです。他の人が自動運転で危険と判断して勝手に減速されてしまうところをマニュアルで爆速で走行できるかのような感覚です。
補足すると、たまに眠ってるときに、夢の中でMMさんの綺麗な顔が鮮明に映ったことなどはありました。言わば淫夢ですね。。。なので、脳みそが完全に壊れたわけではないのかなと思っています。
二つ目について紹介します。私は、昔とても繊細な神経を持っていました。海に連れていかれて泳いだら、危なくない場所でも深淵の恐ろしさにビクビクしてしまったり、気になっていたものの新作がでるとドキドキしすぎてしまったりと言う感じです。
これは時期までわかっていますが、高1の12月に突如そのような神経が全く働かなくなったのです。というのも、その時期は授業で芸術の時間があって、毎週1度ピアノを教室の前の方でで弾かなければなりませんでした。
毎回すごくドキドキして望んでいたのですが、ある時を境にピタリとそのドキドキがなくなりました。それ以来ドキドキやカチコチ、ビクビクと言った擬音に代表される、耐え難い神経の感覚というのが一切なくなりました。
感覚を一つ失ったかのように聞こえますが、これも新たな才能の芽吹きでした。
というのも、普通なら怖くてできない事がバンバン出来るようになったのです。例えば、高3の夏に友人と音楽アルバムを出したことがあったのですが、大学受験もある中それを迷いなく主導出来たのは、この神経がオフになっていたからだと思います。
そんな奇跡が起きた少し前、高1の10月11月、12月というのは、人生の中でもメンタル最低の時期でした。離人が酷くて、睡眠困難も明らかに出ていました。現実逃避で毎週10万歩近く歩いていました。
そんな時期に夢と現のはざまで大変な幻覚を見ました。夢の中で薬を飲みました。そしたら、人生で体験したことのない3人称の視点になって壁を貫通してものが見えたのです。
起きた時疲労感で少しの間動けなくなり、物凄い汗が出てたことは覚えています。それ以来、フッと先の感覚が消えたのです。
この二つに共通している事は猛烈なストレスがかかり、精神的体験をして新たな才能に目覚める。ということです。
「いままでで一番不思議だったこと」では、女性と入れ替わるような精神体験をして、いくつかの天啓を得た。という話を紹介しました。 この時期も、魅力的な女性に囲まれた環境であったのに、母親の父親虐待と男子校育ちとが結びついた女性恐怖によって交流できずに生まれた耐え難い苦痛がもとになっていました。 それでも、その天啓によって、人生を拓くきっかけとなったインドネシア留学に何故か食指が伸び、才能を伸ばすことが出来ました。
これらの3つの例からわかるように、自分が他人と全く異なる才能を得た場面では必ず、大きな苦痛がセットだったのです。だから、これから新たな才能を開花させるには苦痛が必要であると何となく思っているのです。
今の時点でも、突き抜けたことのできる凄い人間だと自覚しているのですが、さらに別次元の凄いことをしている巨匠や偉人の人生を見ていると、あと2歩、あと3歩私の才能は及ばないと分かっています。 今のまま才能を活かす方向の努力をしても、一つの世界で上に行く程度のことはできても、世界を変えるような大きなうねりを作ることは到底できません。 それが分かっているから、新たに才能を伸ばせるなら伸ばさないといけないと思っています。そうなると、もう一度、別の角度で命を懸けた苦痛を味わう事が必要だと思っています。 近海船に乗った時、延縄船ならそれが達成できると確信は得たのですが、まだ書き残したことがあると思って、いったん漁師を中断してこの日記を書き続けているわけです。
それが、私の人生に絶望している理由の一つです。正しく生きようと、行けるなら行けるとこまで行こうとすると、大きな受難が待ち受けているということです。
Last modified on 2026-10-16