抜け出せないループ

今日は、朝から停泊用発電機から、補機に動力を切り替える仕事をしました。

まず、空調を運転からファンにして、給湯器やモータの電源を切ります。 電源切り替えをすると全体に電話をします。 そのあと補機をかけます。その際に、エアタンクをあける時はドレンを抜くこと。LOの残量を確認すること。ねじり回転数の時も、回転数を急いで上げ過ぎないことを教わりました。 補機のブレーカーをオンにして、停泊用発電機の負荷を遮断して、補機に負荷を投入します。最後に、停泊用発電機を停止します。その際に、停泊用発電機のブレーカーを落として、 ガバナが緩くなるまで回してから、停止することを教わりました。 そして、消した空調や家電をオンにして終わりです。 ちなみに停泊用発電機の計器は5つです。なので、記録は簡単です。

  • LOの圧力
  • バッテリーの電圧
  • 積算運転時間
  • 周波数
  • FWの温度 その際に、FWの温度とLOの圧力は注視しないといけないそうです。

つぎに、補油の練習をしました。仕事自体は簡単でしたが、油を扱う仕事をほとんどしたことなくて、垂れてしまったり、少しこぼしたりしました。これからは、油を扱う時は、こぼしやすい場所やその予想をしないといけないなと思いました。 最後に、FOサービスポンプで、FO清浄タンクから、FOサービスタンクに揚げる仕事をしました。流量計を記録するのを忘れそうになったので、気を付けたいです。 そのくらいです。

今日は、人生に絶望している理由というか、まだループの中にいるな。と思えることについて書いていきたいと思います。 ループの全容が理解できれば、ループは終わるのですが、まだ理解できていないので、この話は未完成です。 私の人生は、自分の世界の探究と孤立がセットになっているように感じてそれから抜け出す方法が分かりません。 たいていの流れはこうです。

  • 中3-大1年生の5年間誰とも何の時間も共有できない生活を送ったおかげで、自分の世界が自分だけのものになる。
  • 他人と過ごす中でひとなみに自分を理解してほしいと思う。
  • 経験不足で稚拙なので、他人に我慢を強いたり、拒絶をされたりする。
  • 他人の中には気軽に共有する人がいて、自分の中には他人がいないことの不均衡に不満を抱く。
  • 稚拙さをなおす方向性より、自分の世界への解像度が高まる。
    ひとつひとつ具体例を示していきます。

キラっとプリ☆チャンをガチで見てた人にも、Faeriaをやっていた人も、遊戯王ドラフトやってた人も、「事問う杜宇(私が大学1年生の頃ずっと聞いてた音楽アルバムです、また話します)」聞いてた人もいないし、八潮秘宝館(また書きます)に高校生から行ってた人もいないし、 思春期すべてが他人と共有できない独自の勢いを持っていました。高3の夏の時点で私は10年に一度しか出てこないような個性だと思っていましたし、大学1年生の12月には、不世出の天才になったなと確信しました。 なので、自分の世界は自分だけのものだと確信しています。また、他人と何か活動を共有するという事自体が非常に貴重だと考えています。 つぎに、私はおしゃべりなタイプだし、理解されたいという気持ちがひとなみにあります。例えば、寂しい時は関係ない人にLINEを送りたいこともあります。 そして、他人とのかかわりが稚拙です。家族以外の人と長い時間一緒に生活するということが、船を除けば大学4年生の教育実習までありませんでした。経験がなかったのです。 だからかはわかりませんが、相手の一歩先すら予想できないし、自分の深い理解優先で、相手がNGなことも考えることが苦手です。 例えば、せっかく近寄ってきた女の子に本心で「可愛いからもっと一緒にいて」って言ったら嫌な顔されたのに、3回も同じこと言っちゃってブロックされたこともありました。 拒絶をされたり、遠ざけられた場合に、自分の理解してほしい気持ちはどこへ向けたらよいのかと不満を抱きます。 何故ならかんたんに私を拒絶する人のソーシャルとは対照的に、私はやり取りをしている人自体が非常に少なく、その人に特定のことを共有できなくなったら、もう誰にも共有できなくなることが多いからです。 自分の理解してほしいという気持ちは深く自分に落ちていきます。そして、どんどん自分が他人と違う事が分かるのです。 たとえば、大学で拒絶された経験が、音楽アルバムの制作に向かったことがありました。そこで、どんな音楽を作ったのかを知って自分の精神状況を深く知って満足して、稚拙さを直す方向性にはむきませんでした。 すると、そのような深い理解をだれかに共有したいという気持ちになります。例えば、LINEというような場面で、そのような深い話をすると大抵失敗します。無視されるが基本です。 また不満を抱くことになりと延々とループが続くのです。

インドネシアでの大学生活では、相手が私の英語力や留学生という立場の弱さを考慮してかなり配慮して関わってくれたり、違いを認める国民性のおかげで、ループは発動しなかったことは知っています。 しかし、日本では全てが自己責任にされます。私が誰とも何かを共有できなかったのは、どう考えても生来のものだと思っています。それによる経験の違いや安心感の違いがあるのに、幼稚さだけを指摘されると、自分の生まれや個性についても、あまり自信を持てなくなります。 大学でこのループで繰り返しおなじ嫌な気持ちを感じました。このループが無ければ大卒なのにマグロ漁船にのるまでの不満は貯まりませんでした。 マグロ船のなかはインドネシア人が大半だし、共通の大自然に向き合って体を動かすことで、自分が苦手な言葉にこだわらなくても通じ合えます。だから、ループの外から大きな力を与えられると考えたのです。 何で相手の気持ちを考えるより、そんなに自分が傷付く道を選ぶのか疑問に思うかもしれません。 私は、相手の気持ちを考えるということは、無限の労力が必要なうえ自分が保てなくなると考えがちです。 何故なら、自分の気持ちというのは無限に下がるし、無限に恨むし、無限に変わるし、気持ちよりさらにどうしようもない暗黒部分があって、誰にもわからない。と理解しているからです。 だから、そんな高コストのことをするくらいなら、自分が傷付いたとしても、言葉を超えた感覚でやりとりした方が良いと考えてしまうのです。


Last modified on 2026-10-26