世界から自ら離れたことについて

今日は、空調機のフィルタ掃除についてよくわかっていなかったのに質問しなかったら、機関長に「手取り足取り教えるってわけにはいかねぇんだから、自分からいかないとだめだ。」と怒られました。 わたしは、掃除当番の表の読み方がよくわかっていなかったので、空調機のフィルタ掃除というものも初めて知りました。なので、これから仕事を覚えたいです。 そして、空調機の亜鉛交換の際のやり方を覚えておけよ。と言われました。 海水サービスポンプの船底取水バルブ、サービスポンプのバタ弁、コンデンサ冷却海水の排水口、機関室からサービスポンプ系統のバルブ この5つを閉めたのちに、空調室で海水入口と海水出口を閉めれば作業開始です。 つぎに、各時間ワッチのお風呂について教わりました。

  • 8-12時ワッチの人が15時30分ごろに一番風呂に入る
  • 12-16時ワッチの人が15時50分ごろに入る
  • 20時終わり、24時終わりの人は、ワッチが終わったらすぐ入る

お風呂の順番は決まってはいないそうなのですが、暗黙の了解でこのようにしているそうです。難しいですね。

また、船洗いが今日は予定されていたのですが、無くなりました。私は、モップを準備、ホースを準備してつなげること。このふたつが、スタンバイに直ぐすることだそうです。 また、「モタモタしてると、他の人がやっちゃうから、毎回そうならないように。」と言われました。素早く準備できるようになりたいです。

つぎに、ワッチの時間ごとにある仕事です。 8-12時ワッチの人は、補機の燃料消費を書く 20-24時ワッチの人は、主機の燃料消費と積算運転時間を書く この二つを忘れないようにしたいです。

明日は入港なので、作業を出来るだけ手を出せるようになりたいです。

今日もおしゃべりしながらワッチを取っていたら、相手が楽しそうに変な動きをして絡んできました。自分に気を許せて凄いな。と思うのと同じく、やっぱりほかの人と自分は違うのかな。と思いました。

私は、ソーシャルの面で他の人と根本的に違うな。と思うところがあります。 それは、心地いい関係性を諦めている事です。 私にとって、心地いい関係性というのは、ゾロリとイシシみたいな関係です。やや下の立場にいる子分に自分の考えを説く。というのが自分にとって一番心地いい関係性です。 友達であってもそうです。「センスあるな」みたいなことを言ってくれる人に自分の好きなものの話をするのが好きでした。また、そのような関係性を築くために積極的に取り組んでいました。 長電話をして語ってみたり、連続でLINEのやり取りしてみたり、というような感じです。 少し我慢をさせたとしても、自分の要素多めで受け入れてくれる人との関りが好きでした。

しかし、高校2年生ごろ(あまりにショックだったのと精神状態が壊滅していたので、明確な時期を覚えていません。) 大きな事件が起きます。 Aさんと私ともう一人の友人Bさんで中学1年生の頃からつるんでいました。 自分にとって心地いい関係として、中学1年生の頃から関わってきたAさんに拒絶されたのです。 長文で今まで体よくうなずいていたけど、嫌だったことを列挙されて、嫌いみたいな文章を送られたと記憶しています。 また、Bさんには深刻な悩みがあったそうですが、相談していたのはAさんだけで、3人グループでは私だけが孤立していたことを知りました。 silentという障害科学御用達のドラマがありますが、三人グループだったつもりだったのに、難聴の話を相談していたのは一人だけだった。それと似たような感じでした。 それ以降以前のようなやり方でコミュニケーションを取ることが難しくなってしまいました。

具体的にどんなやり取りがあったのかを知るすべはは殆どないのですが、そのBさんが自死未遂をしたこと、Aさんに謝りたかったこと。 大学1年生の頃この二つばかりが気がかりで、大学をエンジョイしようと思えなかったほど印象に残った出来事でした。 それにより、大きく考え方が変わったように思います。

具体的には、自分にとって心地のいい関係というのは、相手に我慢を強いて初めて成立するものだ。と思うようになったのです。 また、私の母がそうだったように、他人に自分の話をこぼすことで、ストレス解消をした場合、必ず我慢をする人が生まれる。と思うようになりました。 勿論中学生の自分の思いやりの無さ。表現力の乏しさ、そもそも嘘つきで虚栄心に満ちていたこと。などがきっかけとなった事件の原因にはありますが、それが少しずつ解消されてもこの感覚は治りませんでした。 つまり、その事件がトラウマとなって相手に愛着を持って関わることが難しくなったのです。

他の人を見ていると、それぞれ得意なコミュニケーションの方略があります。例えば、カレピを作って印象に残ったことを全部話している人、部活やサークルに入って噂話を楽しむ人、後輩に変な絡みをしてその反応を楽しむ人 色々あります。皆誰かに寄りかかって、その寄りかかり方に違いがあるだけです。 ただ私は、寄りかかるのが怖いです。だから、壊れない怖くないものを基準に物事を考えています。 私は、自分の中にある確かなものを一つ一つ確かめていくことしか、自分を支える方法が無いように思っています。 他の人が、自分の外にある柱に受け止めてもらうのを横目に、自分はどこにも柱を見つけられず、自分の精神世界の暗黒から柱を取り出して、それを自分の周りにおいているように思えます。

私が、得意なコミュニケーションを禁じている具体的な方法は、次のような感じです。出来るだけ対等な関係で依存的にならないような方向性を取っていました。大学2年生くらいまでが顕著でした。

  • 無意味に人と会わないようにする。
  • 同じことは言わないようにする。
  • 愚痴は語らないようにする。
  • 成果の報告であって、気持ちの共有ではないようにする。
  • 実績・年齢の関係から下になってしまう人と、困っていない限りは一緒にいないようにする。
  • 出来るだけ実績、才能が上の相手と関わるようにする。
    どれも、無駄に人と関わらないようにするルールばかりです。

一方、冷静に考えられるようになると、イシシとゾロリのようなやや非対称な関係が好きでも、それは悪い事ではないと思えます。 何故なら、他の人がしている、ダル絡みや彼氏・彼女に依存する人間関係と大きな違いはありませんし、思いやりを持って自分の話を多めに聞かすことも工夫次第でできるからです。 しかし、そのトラウマティックな記憶が薄らいできた今でも、得意のやり方に向き合えません。そこにまた別の理由があるのです。

それは、関係性を通して、自分が成長できると思えないからです。というのも、人間関係で成長するには相当な才能がある人や、能力がある人と関わるのが一番だと思っています。 しかし、自分が惹きつけたい対象は、自分より下にいてくれる人です。才能がある人、実績がある人は、私の現在の実力では下にいてくれません。もし才能がある人がいたとしても、それはイルな状態であったり、相当偏った人だと思っています。 だから、現状の実力では、ゾロリみたいな人間関係をしても、大きな成長を見込めないと踏み、自分の成長を優先するという覚悟を持って、得意な方略でのかかわりを捨てたのです。

話をまとめると、トラウマティックな経験によって、愛着への不安とともに得意なコミュニケーションが難しくなりました。しかし、その記憶が薄れても、自分の成長に資するかどうかという観点から、得意なコミュニケーションを自ら断っています。 そして、その稀有な現状と特定のやり方をする他人との違いを考えました。というのが今日の話の主題です。

マグロ漁船に乗ったのには、無駄な時間を使わず孤独に成長を目指したいという覚悟を良い方向で、示したかったというのもあったと思います。 遠洋船に乗れば今までの仲間・物質的豊かさ・世界、全てとさよならです。しかし、私にとってそれは大したことではなく、自分の成長や、かけがえのない経験の方が大事だったのです。 多分27歳頃までだろうなとは思っていますが、今の方向性はこうなんです。

補足すると、思いやりを持つことの恐怖もあります。何故なら人間はどこまでも、闇をため込めると思っているからです。 たとえば、「あなたを殺したい」という気持ちまで、思いやりを持てません。思いやりは、相手が一定程度以上ヤバいことを考えないという前提で成り立っていると思っています。だから怖いです。 多くの人が思いやりを使って、人間関係を円滑にしている以上、この考えが偏っていることも分かります。 だから、人間の感情は底なしで計り知れないというトラウマティックな感覚や不安も別にあるのだろうと思っています。

今日は、自分のコミュニケーションの偏りについて話しました。この問題はいまだループの中で、未解決だなとなんとなく思っています。


Last modified on 2026-11-04